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エセー 《観たい・言いたい・聴きたい》



第29回 2025年12月23日

ヴェルディの生家を訪ねて


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 パルマ近郊のブッセートから田舎町レ・ロンコーレまではバスが走っている。だが、私は青年ヴェルディが恐らくは馬車で通ったと思われるその道を、歩いてみることにした。寒村の風景をゆっくり楽しみ、ポー川から吹きくる風を体いっぱい浴びたかったのである。至る所に車で行き来する人のための方角標示板が立っているので、迷うことは無かった。時々農村特有の匂いが鼻の奥を突き、空気は冷たいが、胸弾ませて歩いている私には少しも気にならない。その日は十月九日、私にとって無くてはならない存在となったヴェルディの誕生日である(最近は十月十日とされているようだ)。この日を二十代の最後を飾るイタリアの旅のメインにと考えたのは、その二年前のことだった。
 四キロメートルの道のりの中、歩いている人には会わなかった。車は数回だけ、舗装されてはいるものの埃っぽい道を、速度を緩めずに走っていき、身を乗り出して見慣れない東洋人の私に手を振っていく者もいた。途中、煉瓦造りの農家が二十軒足らずあった。気のせいかそれらは写真で目に焼き付いていたヴェルディの生家によく似ていた。久しぶりに歩いたことと、どこまでも真っ直ぐ伸びる一本道は、単調なだけに少し疲れを感じさせる。やがて遠くに集落が見え、広葉樹の茂みの間に、ひときわ高くとは言えないが、質素な聖ミカエル教会の鐘楼が望まれた時は、目頭が潤んだ。それはレ・ロンコーレの象徴であり、ここで幼いヴェルディがオルガンを弾いていたのだ。
 足早になって十分も経たずに辿り着いた私は、ひっそりと佇んでいる建物に見とれた。小さな佇まいがこの集落と良く似合う。反対側に回れば広場になっており、裏門の側にヴェルディがオルガンを弾いている姿を彫刻した記念碑が建っていた。若者の顔が長髪で覆われるように、美しい柳の緑に包まれている。その位置に立って教会に背を向ける形で前方を見遣るなり、私は言い様の無い感動に襲われ、教会以上に神々しいものが空一面を覆うかの如き勢いで目に入り、立っているのがやっとだった。
 何度も夢で訪れたヴェルディの生家がそこにあった。私は明らかに戸惑っていた。駆け出したくもあり、その感動を持続させるため立ったままでいたくもあった。これは現実だ、とうとう成し遂げた現実だ、と自分に言い聞かせても何故か足が進まない。気を取り直した私は急に心弾んで、もう一度、その聖ミカエル教会の周りを歩き、見取り図を書いたりした。途中、宝物でも覗き見るように何度百姓家に目を向けたことか。

 教会と生家の間に立って眺めやる平べったい家の何もかもが、懐かしさをもって目に入る。だが、生の感動と言おうか、光と影の変化により微妙に変わる煉瓦の色合いは、フェルメールの描いた外壁にも似て心を奪われた。辺りの木々のそよぎや、一歩進むごとに大きさを増す家の佇まい。足の裏に伝わってくる小石の感触。あらゆるものが偉人に関わったものであり、空気や空までが有難くなってくる。これらがヴェルディの体内に蓄積され、育ち、また互いに影響して高め合い、例え難い音楽として生み出されたのだ。
 私の受けた感動は、ボンのベートーヴェン・ハウスでも、ベルガモのドニゼッティの生家でも受けなかったものであり、今は見る方もなく失われたブラームスの足跡をハンブルクに訪ねた時に近いものがあった。もはや時間の観念は消えていた。一時間も石のように固まり、そして、砂地に坐って瞑想した。だが、それは私の気持ちから起きた訳ではない。生家の扉が開かれるには、二時三十分まで待たなければなかったからだ。それでも私は掛け替えのない時を少しでも長く味わいたくて、腰を上げたのは三時過ぎであった。
 神聖な家の扉の脇についているベルを押した。管理している婦人が現れる。その家の間取りや調度品まですべてそらんじていた私にとっては、初めて足を踏み入れるという感覚はいささかも無かった。だが、目に入ったのは想像していたものとはまるで違った、みすぼらしい農家だった。多くの人の出入りがあるからだろう、床は凹凸が激しく、階段も角が擦り減っている。写真で目に焼き付いている二階にあるヴェルディの部屋に入るには、よほど足元に注意をして一歩一歩昇らなければならない。
 逸る胸を押さえ、踏み込んではならぬ禁断の場所を前にした罪の意識さえ感じながら、私は恐る恐るヴェルディの部屋に入った。窓の外の聖ミカエル教会の輝かしさは、まるでキャンバスの中の名画のように喩えようなく美しかった。私は咄嗟に確信した。これが幼いヴェルディの心をどれだけ豊かに育んだことだろうと。だが、こうした光景はヨーロッパ中至る所にある。多くの人がこのような環境に囲まれているのだ。

 部屋の中にはヴェルディが使用したという箪笥と机があるだけで、他にこれと言って遺品は無い。恐らく、多くはスカラ座博物館やブッセートのパラヴィチーノそして、終の棲家となったサン・タガータの寓居に運ばれているのだと私は思った。だが、閑散としていることが、私に一層の感動を与えてくれた。私の注意は並んでいる遺品よりも、全く白さを失い、崩れ落ち、煉瓦が剥き出しになっている壁や、薄黒くなった天井の太い梁などに向けられ、それが如何にも大音楽家の生家に相応しいものに思えてくるのである。
 私は思い出した。ベートーヴェンもモーツァルトも、その生家はいかにも薄暗い。それに、イエス・キリストの生家は馬小屋である。貴族や名家の生まれでない限り、明るい部屋など考えられなかった時代である。私は広げてあった記名帳に書き入れた。ここまで出かけてくる日本人はさすがにいない。そうかと言って、他国の人も極めて少ない。埋めているのはほとんどがイタリア人の名である。それも、ミラノ、ベネツィアそしてパルマと、この近郊から訪ねて来る者ばかりだった。
 もし案内の婦人がいなければ、私は飾られているヴェルディの肖像に頬ずりしたり、もっと時間を掛けて隅々まで目を配りたかったのだが、この長い旅行中に必ずや再訪しようと胸に誓って階段を下りた。私はあらゆる角度から生家を写真に収め、再び聖ミカエル教会へと向かった。そこにはヴェルディがヴァイストロッキの跡を受けて演奏していたパイプ・オルガンがあった。この小さな教会に相応しく、それまで見知っていた楽器の中では最も小さいものに属していた。しかし、幼いヴェルディがそこに坐って演奏し、そのことが偉大なる作曲家の心の中で、多くの音楽的霊感の源になってあふれ出たことを思えば、如何にも貴重なものに見えてくる。
 かれこれ五時間も過ごした。天気に恵まれて、北向きの生家は斜め上からの秋の陽光を浴び、絵のように美しかった。ここまでの道のりは古い街道筋に当たり、作曲家の父親は小さな旅籠も経営していたという。器用にスピネットを奏でる少年は旅人たちの人気者であったようだ。泊り客の中には音楽に造詣の深い者もいたことだろう。少年が教会で弾くオルガンを聴いた彼らは、行く先々で話題にしたに違いない。歴史に名を残した多くの作曲家の例に洩れず、ヴェルディもまた、あまたの伝説に包まれている。

 昨晩から泊まっているブッセートの宿に私は引き返した。レ・ロンコーレは私のヴェルディ巡礼の始まりである。生家のある集落は人口が僅か五百人程度だったという。大作曲家の中でも、これほど小さな村に生を受けた者は珍しい。ここで彼の才能を伸ばすことは不可能である。噂を聞き付けたブッセートの有力者がヴェルディを援助することになる。そこでは出世してミラノに旅立つ前のヴェルディに関する、山のような話に溢れていた。
 人口が五千人ほどのブッセートはパルマとクレモナの中間に位置する。ヴェルディが若き日を過ごしたこの町では、この作曲家を神格化している。軒を連ねた小さな商店街では、外から最も良く見える場所に御真影よろしくヴェルディの写真が自慢気に飾られ、多くの縁深い品々もを並べて競い合っている。中央広場の市役所正門の前には、ヴィットリオ・エマヌエル二世の騎馬像が置かれるのが常だが、この町ではヴェルディの座像が据えられている。しかも、市役所の建物の一部はヴェルディ劇場という小さなオペラ・ハウスになっており、シーズンにはファンが詰めかける。
 特筆すべきは、この建物の片隅にあるホテルである。その名を《二人のフォスカーリ》。ヴェルディ初期オペラの名に因んだ、こじんまりしているが気の利いたこのホテルは、何と名テノール、カルロ・ベルゴンツィが経営していた。勿論私はここに宿泊した。すべての部屋はヴェルディの作品名が付いており、部屋の中には同じオペラの初演のポスターまで貼ってあったが、私の部屋は何だったか覚えていない。ホテルのレストラン兼ドリンク・バーは夜遅くまで賑わう。ここの若いコックが素晴らしいテノールで、周りから「ヴィヴァ・カルーソー」とおだてられ、私のために《ラ・ジョコンダ》の『空と海』を披露してくれた。それは、そのまま大舞台で通用しそうな名唱だった。
 何日かして再訪した私は、日本からやって来たヴェルディ愛好家ということで、居合わせたカルロ・ベルゴンツィと昼食を共にするという思わぬ機会を得た。その後、広場を抜けて向かい側にある店の二階で、この名テノールの声楽レッスンを見学することまで許された。石造りの家は響き過ぎることが難点だが、私は天国に遊ぶ心地だった。数年前ベルゴンツィは神に召されたが、このホテルの営業は今も続いているようである。

生家
  私が訪れた頃のヴェルディの生家

ベルゴンツィ
  私が出会った頃のベルゴンツィ。《運命の力》の衣裳かな?

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