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エセー 《観たい・言いたい・聴きたい》第28回 2025年12月16日 ミレー《種をまく人》山梨県立美術館 画面をひとり占めするような、アンバランスに大きく描かれた農夫の姿がまず目に飛び込んでくる。それまでの人物画と言えば、王侯貴族や歴史的人物が記念撮影的に肖像画として名のある画家によって描かれていた。こうして、名も無い堂々たる体格の農夫(ミレー自身もこうした体格だったらしい)がクローズ・アップされて描かれたことにより、誰もが戸惑いを隠せなかったのは無理もないだろう。しかも、勲章を下げて気取ったポーズをとっているわけでもなく、いささかの誇張も見当たらない。農村へ足を運べばどこでも見かけた光景であり日常のひとコマだった。だが、そのひとコマが何という大胆さで、激しい主張をもって描かれていることか。大地を踏みしめて働く農夫の力強さに、多くの人は正負いずれかの極端な衝撃を覚えたことだろう。実際、展覧会場を飾ったこの絵を見、為政者は恐れて物議をかもした。フランスは世界に先んじて共和制を敷いた国だが、この絵の描かれた前年に、共和制はわずか1年足らずで命脈を断たれた。新体制から見れば、ぼかされてはいるものの、農夫の着ているものと肩から提げた袋は、赤白青(自由・平等・博愛)の三色旗を想起させる。社会主義的あるいは革命的とも思われるこの絵は、貧者には眩しく映り、富者には反権力を感じさせ、目を注いでいるのに耐えられなかったのだろう。 《種をまく人》の主題で取り分け古い絵は、ジャンヌ・ダルクの一世代前に生きたランブール三兄弟が未完成で残した《ベリー公のいとも豪華なる時祷書》の中で、季節の労働や貴族の生活を描いた写本挿絵の十月の部分だろう。この本の中の多くの絵が、かつてレコード・ジャケットの表紙を頻繁に飾ったものだ。季節をテーマにしたものが多いだけに、ヴィヴァルディやハイドンの《四季》などによく見られた。そこでの種をまく農夫は、青い野良着に身を包み、肩から提げた白い袋に小麦の種をいっぱいに入れ、疲れたような足取りで右手に握った種をまきながら歩いている。その農夫の姿はまさにミレーと同じである。少し遅れて描かれた《ベトフォード公の時祷書》での種蒔きでの農夫は赤い帽子を被っているが、当時まだ生まれていない三色旗を話題にする者は勿論無かっただろう。ミレーへの風当たりの強さは、革命期の空気が悪かったと言えよう。 もう一つ話を加える。この絵に二年先立って、《漁師の妻》という同じような筆触の絵をミレーは描いている。今にも陽が落ちようとする薄暗い海辺で、心配そうに頭に手をやった妻は、漁に出た夫や息子の帰りを今か今かと待っている。この当時のミレーの作品では、他にも主な使用色がフランスの三色旗と符合していることが取り沙汰されるが、ここでも赤白青が原色に近い形で使われている。出世作《箕をふるう人》や先の《種をまく人》でも同程度のインパクトをもって使われたが、《漁師の妻》の場合はそれを云々する者は居ない。そうしたことで、ミレーがその三色を使ったのは体制批判や民族主義などという大仰なことではなく、それらの色を好んで使ったに過ぎないと考えた方が良いだろう。いつの時代も為政者は人民の動きに敏感で、深読みして恐れるものだ。未経験の刺激が多いパリの生活の中で、数年前からミレーは農村に取材した絵を描くことが多かった。単に美しい風景画ではない。農作業をする人々に魅せられたのだ。いや、それ以上に己のアイデンティティーがくすぐられ描かずにはいられなかった。働く姿を通して脳裏に映るのは両親の姿。人が動くと書いて働くと読む。ミレーは己の使命を感じて筆を走らせた。実写することは大切だが、汗して働く尊い姿を見て育ったミレーには容易いことだった。近代化の進む都市部にあって、誰の目にも農村は取り残された存在と映っていただろう。だが、ミレーにとって農民は、永遠性を保ち続けている存在に見えたのだ。 パリで得た仲間たちから聞いていたバルビゾンの話。ミレーはかねてから脳裏を巡っていた夢のような世界に心を躍らせた。そこにパリの革命が起きた。四人の子供を抱えたミレー夫婦が考えあぐねているところに、コレラの恐怖が加わった。取り敢えずの避難のつもりでパリを離れた一家が移ったのは、心を占めていたバルビゾン。既に集まっていた多くの画家が迎えてくれた。ミレーはここに骨を埋めても良いと思った。我が国の誇る絵画所蔵品の代表格である《種をまく人》はこうして生まれた。 動きやすい野良着に藁ぐつらしきものを履いた農夫が、力を込めた慣れた手つきで種をまいている。無駄のない動きで黙々と働く姿には、ダヴィッドの描いたナポレオン以上の逞しさや自信を感じる。いつものことだが、ミレーが描く農民の表情は不明確である。だが半分以上を帽子で覆われながらも僅かに覗く鼻と口元だけで、男の意志の強さは十分に窺える。肩から下げた麻袋に手を突っ込んで、ほぼ同じ粒数をつかみ取り、決まった歩幅でリズムを取って踏みしめる姿には緊張感も漂う。この作業が彼らの収入につながる大切な瞬間なのだ。同時に、何の疑いもなく己に課せられた労働に身を置く農夫の、誇り高い姿がここにある。パリはよその国に見えたかも知れない。フランスは国土の大半を占める農村が支えていた。己の出自を肯定し、明けの明星とも呼ぶべき妻カトリーヌの献身があればこそ画業に専心できたミレーは、この農夫の姿に己を重ね合わせているように思われてくる。 ちなみに、種まき時に袋からつかみ取る量はプロフェッショナルな寿司職人と共通している。例えば袋にぎゅっと手を突っ込んで掴み取った粒が四百粒だったら、誤差は五粒とないであろう。また、腕を振ってそれを十回まいたなら、一回当たりの粒数はほぼ四十になろう。実際、放映された寿司職人の技は五粒程度の違いだった。この農夫にとっては自慢にもならぬ当たり前のことなのだろうが。 事実、ミレーはこの絵に己を重ね合わせている。生まれながらにして農民であった彼は、長男として己の将来を確信し、幼いころから家業にたずさわることに何の疑問も持たず、あらゆる農作業に励み、それらの尊さは身をもって知っていた。十代も半ばにして息子の姿に画家の素質を認めたのは父であり、尊敬して止まない祖母であった。彼女のためであれば、ミレーはトビアスのように尽くしただろう。何故なら、ミレーに絵筆を握らせたのは間違いなく厳格な信仰生活を送っていた祖母であった。その後の生涯において庭いじり程度のことは時折やったが、鍬や鎌を握ることはなかったミレー。だが、彼の体に流れている農民の血を入れ替えることはできない。ミレーは画家である前に、精神的にはまぎれもない農夫であった。 そんなミレーであればこそ、種をまく農夫を支えているのが家族であることをよく知っていた。大地を踏みしめて歩きながらも、規則正しく腕を振りながらも、働き者の妻と子どもらのことは一時も頭を離れない。彼は感謝をもって信仰の言葉を口にする、そしてそれと同じほど、家族への思いを口にする。「生えよ! 育て! そして実れ!」 農夫は父親としての幸せを満身に感じ、誇りを持って終わりのないような作業を続ける。 こうして、種をまいたところに、やがて可愛らしい芽が土を分けて出てくる。一面に、一面に広がり、生の喜びのざわめきが聞こえるようだ。それを見た農夫は目頭が熱くなるに違いない。胸がいっぱいになるに違いない。暗い地中でじっと耐えていた命は、どの芽も同じ日に季節を感じ、薄緑の頭をもたげる。繰り返し感激の光景を見てきた農夫だからこそ、種をまく腕にはいっそう力が入る。農夫の思いの中には天地を造りたもうた神にも似た満たされた思いが駆け巡っている。 バルビゾンという村とも呼べぬ小さな集落に暮らしながら、あるいは度々訪れてその先にあるフランス第二の広さを持つフォンテーヌブローの森の持つ美しさに魅せられて風景画を描いた画家たちは、バルビゾン派とひと括りにして呼ばれているが、後半生二十七年をそこで暮らし(ヨハン・セバスティアン・バッハも後半生二十七年をライプツィヒに住んだ)、派を代表する存在となったミレーの場合、純粋な風景画は思いの外少なく、名作の多くは牧畜を含めて農作業を描いたものだ。多くの画家たちは深い絆で結ばれ、啓発し合ったが、ミレーの絵を賞賛こそすれ、同じように農民をテーマに選ぶ者は少なかった。ここに、ミレーの『農民画家』と呼ばれる特異性がある。 さて、この絵と瓜二つのものがボストン美術館にある。この美術館はミレー作品の宝庫である。ボストンは昔から教育文化意識の高い土地柄で、歴史的にフランス文化への趣向が強かった。音楽でも、かつてのボストン交響楽団はフランス音楽には飛び切りの名演奏を聴かせたものだった。ミレーとボストンの馴れ初めは、ミレーに心酔したボストン出身の画家がバルビゾンに移り住んで、多くの絵を買い込んだことらしい。さて、この絵と同時期に同題材で描かれたボストン美術館所蔵のヴァージョンは、明るい絵具をベースとし、わが国のものより動きが感じられる。 忘れてならないのは、《種をまく人》というタイトルは宗教そのものであるということ。マタイ福音書には「涙して種まく者は幸いである」、種は実りを生んで喜びをもたらすだろうと続き、この言葉はブラームスの傑作《ドイツ・レクイエム》の冒頭でも歌われる。宗教的生活に身を置くことは無かったミレーだが、祖母の影響で宗教心は強く、有名な《晩鐘》はじめ、多くの作品で宗教をテーマにした。例えば、羊の絵が多いのは「神の仔羊」が頭にあってのことで、いずれも温かな画家の眼差しが注がれている。 ![]() 《ベリー公のいとも華麗なる祈祷書》より『種をまく人』 |