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エセー 《観たい・言いたい・聴きたい》



第27回 2025年12月9日

世界を巡った朝比奈隆


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 朝比奈隆のブルックナー人気を決定的にしたのは、「渋谷ジャン・ジャン」というライヴ・ハウスが一九八七年に発売した、大阪フィルハーモニー交響楽団による『交響曲全集』であろう。黒いケースに収められた如何にも通好みの装丁は、所蔵品としての格調高いイメージを持ち、演奏も音質も世界に誇れるものだった。レコード店の経営を始めて十年ほど経過していた私は、大好きな朝比奈隆の快挙に胸躍らせ、当時月に一度は東京の輸入レコード仕入れ先を訪問していた事もあって、予定を調整し「渋谷ジャン・ジャン」に出掛けた。少し薄暗いイメージで、あれがライヴ・ハウスだったのだろう。アポイントメントを取っていたので経営者の高嶋進氏にお会いできた。面影は思い出せないが、根っからの朝比奈ファンである私の来訪をとても喜んで下さった。その時はこの全集を二十組仕入れたが、仙台からわざわざ足を運んだことで恐縮された。全集は飛ぶように売れ、その後も追加オーダーをした覚えがある。今や、この時のオリジナル・レコードは世界のレコード・コレクターの間で宝物のように大切にされている。
 サンフランシスコの友人を案内して関西旅行をした時のことである。音楽好きの彼はレコード店を見つけると途端に足が浮いて黙っていられなくなる。ある店で彼は頓狂な声を出し、飛んでいった私に高く掲げた組み物CDの箱を見せた。見覚えのある黒いデザインを見て私はすぐに分かった。それはジャン・ジャンのブルックナー全集であり、彼の愛聴盤となり、十年以上の間スピーカーの上に飾っていた。私もまた何度も聴かされた。彼の亡くなる数日前、再会を約束して部屋を出た時にジャン・ジャンの箱が眼に入った。彼は稀に見る親日家でもあった。

 アメリカ人自慢のシカゴ・シンフォニーセンターはミシガン通りを挟んで美術館に対峙しており、マチネ公演の前にはゆっくりと絵を眺めて過ごすことができる。この美術館は世界有数の印象派コレクションで知られるが、私はティエポロを観たくて入る。RCAのリヴィング・ステレオで知られる数々の名録音で使われた音響の良さでも名高いコンサート・ホール。ドーム型の天井を持っていて、そのまま床まで半球を作るような形になっており、舞台奥から客席の最後部までの距離はやや短く、見た目には響きの良さが信じられない。そこから生まれる残響はとても不思議だ。目に眩しいほどの電球を消した時に網膜に焼き付いた残像をイメージするとよい。とても長く、いつまでも耳の奥にかすかな音が残っているのだ。このために、より明確な残響に包まれた自然音に近い響きを生むため、オーケストラは残響の助けを借りずに、常に力いっぱいの努力で大音量を作る必要があったのだろう。そこからシカゴ響の馬力が培われたのだと合点した。
 ホールは座席もまた年代物である。ヨーロッパですらこのようなものは珍しいが、マチネ公演に集まった老人たちは座席ともホールとも本当によく溶け合っている。このようなナイス・マッチは中々出合えない。かつて若く力漲るクーベリックや剛腕のフリッツ・ライナーが指揮台に立った時、これら客席の老人たちは燃える志を抱いた青年として同じ座席で拍手を送ったのだ。純粋な響きは正にリヴィング・ステレオの音を彷彿とさせる。小さいながらも豪放な響きを生んだホールを私は実感した。
 最上階の席は天井が低く、まるで蝙蝠が棲む穴倉のイメージだ。だが、平土間と同じほど広い床面積があり、しかもかなりの傾斜をもっているから、奥の方から前方に目をやれば、けだし壮観である。多くの人がこのホールの響きは乾いているとかデッドだとか言うが、私には野外ホールで聴く直接音に近いものがホール全体に広がっているようにも思われた。考えようによっては、純粋感があり、ストレートな響きということでもあろう。そして、朝比奈隆もまた、この伝統あるホールのステージに立ったのだ。朝比奈隆の名を世界的にしたのは、一九九六年、シカゴ交響楽団に客演して振った、ブルックナーの《交響曲第五番》である。残念ながら私はこの演奏会を聴いていないが、アメリカやヨーロッパの知人数人が出掛けており絶賛している。彼らが口々に褒めそやすのを耳にするたび、私は我がことのように嬉しくなる。

 ハンスリックなどの批判にさらされて初演まで十年も要したというブルックナーの《交響曲第五番》。これは、作曲家の信仰告白的地味な色合いを持っている。その一方で、国際ゴシック期の鮮やかなフレスコ画に見られる荘重な雰囲気が漂う。この音楽が、極東の(欧米人から見れば)神秘の文化に覆われた日本から来た隠者の如き朝比奈の手によって紡ぎ出された時の衝撃は、相当に大きかっただろう。
 ブロムシュテットが演奏するこの作品をサンフランシスコで聴いた時、先の友人は朝比奈隆の演奏と近いものを感じたと言っていた。彼はシカゴ公演も聴いていた。彼のブルックナー観は「音楽全体がバランスよく続けられるのが極意であり、部分的に目立つことは戒めるべきだ。美しさが保たれ、天上の世界に遊ぶもので、過度の興奮は逸脱である」という。それにしては、ブロムシュテットは動きが多すぎ、鳴らし過ぎると思った私と彼の間には若干の意見の相違があった。つまり指揮者が語る部分が音楽に語らせる部分よりも多いのだ。ミュンヘン・フィルを指揮したティーレマンの場合はもっと明るく華やかであり、音楽の洪水とでも言うべき演奏だった。かくも異なった表現に陥りがちな音楽を、朝比奈隆はいったいどのように制御したのだろう。

 朝比奈隆と音楽評論家宇野功芳の交友は良く知られる。その間にはブルックナーへの愛が横たわっている。私が初めてこの個性的な評論家を中野の自宅に訪ねたのは「ひなまつり」の日だった。昼飯時だと言うので彼は私を馴染みの蕎麦屋に連れて行って下さった。蕎麦屋の親父の頷き顔に気を良くし、私たちは日本の合唱作品、歴史的名指揮者そして音楽教育などの話で時間はみるみる過ぎた。得難い経験をした半日で、この有名人の面倒見の良い姿に私はすっかり魅せられた。宇野氏との出会いは、私が「日本ワルター協会」というレコード頒布組織の会員になっていたことに始まる。彼の初出版が名指揮者ブルーノ・ワルターを取り上げたものだった。また、私は「日本ブルックナー協会」会員でもあり、東京での集まりに参加したら宇野氏も見えていた。私が目に留まるなり「是非紹介したい方がいる」と先導し、何とそこにいらしたのは、かの朝比奈隆であった。
 氏は日本ブルックナー協会の会長だったのかもしれない。これほど相応しい方は他にいないだろう。二言三言言葉を交わしたが、大家を前にブルックナーのことを話すのも憚られ、いくつもの賛辞を並べ挙げてもお決まりの文句だけ、私はチューリヒやヴェネツィアでの大阪フィルハーモニー交響楽団ヨーロッパ・ツァーを聴いたことに触れたのだった。何故なら、それが一番、この歴史的人物を喜ばせることができたに違いないから。

 一九七五年十月、チューリヒ・トーンハレは満員の盛況だった。颯爽と現れた朝比奈隆は日本人には珍しくステージ映えのする人で、頼もしく思えてくる。最初の曲はレスピーギの《ローマの泉》。印象派的弱奏で開始される作品に少しはらはらしたが、客席からは感動の拍手が起きた。朝比奈隆はシューマンの交響曲は四曲の内、後の二つだけを認めていると言われる。そこで、演奏されたのは溌溂としたリズムに満ちた《交響曲第四番》。ちょっと時代掛かった緩急自在な表現はツボを心得たもので、ブラヴォーの声も上がった。私の傍にいた婦人が近づいてきて、とても素晴らしかったというジェスチャーを見せてくれた。ヴァーグナーの《ニュルンベルクのマイスタージンガー》前奏曲がアンコールに演奏され、さらに大きな感動が広がり、人々の表情を見れば、思いもしなかった東洋人の表現への称賛と、この音楽が与えてくれる途方もない生命力で勇気づけられた様子が手に取るように分かった。チューリヒという町がヴァーグナーの生涯の中でいかに特別な意味を持っているかも十分に心得た朝比奈のパフォーマンスだったのだろう。
 十日余り置いて、大阪フィルハーモニー交響楽団のヴェネツィア公演を聴いた。会場であるフェニーチェ劇場は経済的な理由のため閉鎖されるという噂も飛び交っていた。皮肉なことに、二十年後にこの劇場は火事で失われてしまう。私は天井桟敷で普段着に身を包んだ常連たちと体を押し合いながら耳を傾けた。私より二歳若い内田光子は海外デビュー後まだ数年しかたっていなかった。曲目はシューマンの《ピアノ協奏曲》。当時の内田が生み出す音は甘く洗練されており、一方の朝比奈は年齢に似合わぬ切れ味のある棒捌きで若々しい音を引き出した。そこが、ソリストとの間に若干の不調和を生んだ。メイン・プロはシベリウスの《交響曲第二番》。木管楽器と金管楽器の不ぞろいが散見される中、渋い色合いでありながら、変化をもって邁進する朝比奈の指揮に聴衆は引き込まれていった。特に終楽章におけるその姿は、ヨーゼフ・カイルベルトを思い出させた。熱気ある演奏だったにもかかわらず、フェニーチェ劇場の座席は三割以上が空席だった。海外に関わる朝比奈隆の話を取り上げたが、氏の音楽に魅了され続けた私のただ一つの心残りは、大阪のフェスティヴァル・ホールで彼のブルックナー演奏を聴けなかったことである。

ブルックナー
  ブルックナー 交響曲全集/朝比奈隆 渋谷ジャンジャン


宇野功芳
  音楽評論家宇野功芳氏と筆者(仙台・輪王寺庭園にて)

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