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エセー 《観たい・言いたい・聴きたい》



第26回 2025年12月2日

『言いたい!』 ハドソン川の別荘


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 ハーヴィー・ギルマン氏は深く付き合ったレコード・ディーラーの一人である。オペラを愛好する先輩として教わることも多かった。ギルマン夫妻はニューヨークのメトロポリタン歌劇場から北へ四ブロックのアパートメントに住んでおり、私は居合わせたことがないが、彼の家には古くはリチア・アルバネーゼ、そして当時人気絶頂にあったトーマス・ハンプソンなどが訪れていた。旅行の多い年は頻繁に出入りし、決まって一緒にメトロポリタン・オペラに足を向けた私たちだった。
 ハーヴィーはあらゆるオペラについて実に正確に通じていた。いつ、どの歌手がどんな役をどのように歌い演じたか。彼はドイツ系アメリカ人なので、『レンスキーのアリア』の話になれば、「ヴォーヒーン、ヴォーヒーン」とドイツ語で歌い出したかと思うや、「クダー、クダー」とロシア語も飛び出す。私が続けると大喜びで、しばらくは止まらなくなった。他のオールド・ファンと違って、彼は新人の評価を大切にし、音楽関係に多くの友人を持ち熱弁を揮った。次代の名歌手はこうして育てられていくのだと私は実感した。
 私より四歳年長の彼の観劇キャリアは凄まじいものがあった。オペラのみならず実によく知っていた。ある晩、私がエルガーの《ゲロンティアスの夢》の話を持ち出したら、「ここが一番盛り上がるところだね」と言いながら歌い出した。感激した私は拍手をして彼の肩を軽く叩いた。レコードを聴きながら興に乗るとヴァィオリンを手に取る。彼はアルコールを嗜まなかったので、コーヒー片手に相槌を打ったものだ。ハリウッド・スター並みに美人の奥様ルイーズはメトロポリタン歌劇場の斜め向かいのビルでコンピューター関係の仕事を持っており、オペラに出掛けるときは待ち合わせることもあった。

 ハーヴィーはニューヨークの自宅に一万枚のレコードを持っていたが、別荘にはそれ以上持っており、クラシック音楽の愛好家であると同時にレコード・ディーラーでもあった。私は双方でレコードの買い付けをした。オペラが終わった夜半十一時過ぎに、別荘まで二時間のドライヴをすることも少なくなかった。マンハッタンからハドソン川沿いに北上し、ひたすら直線に近い道路を走る。キャッツキル山地への分かれ道で右に折れると大河が眼に入る。それを横目に見ながら数分行けば眺めの良いところに別荘がある。私の部屋の窓から川向こうに昇る朝日が望め、秋ともなれば虫の音に心癒された。
 ドライヴは単調だが、カー・ステレオの音楽は途切れない。多くの場合FM放送を流しており、彼は曲名や演奏家当てが好きだった。耳の識別能力は際立っており、有名歌手であれば古今を問わず言い当て、そんな時は特徴を教えてくれるので私には大変勉強になった。窓外には見慣れない鳥が何種も飛び交い、稀に鹿も見掛けた。アメリカのハイウェーでは道路際、車に撥ねられた野生動物がよく転がっていた。リスやネズミが多く、大きさで目立ったのはスカンクだった。この動物は相手を退散させる強力な武器を持っているせいか、警戒心が弱いらしく事故に遭うことが多いのだ。白と黒のふさふさした毛が転がっていれば、すぐに見分けがつく。
 わが国と同じで、アメリカでも道端で土地の果物などを売っていることが多い。そのずっと手前に表示を出しているので、速度を落とせば買い物はできる。だが、ハーヴィーは一度も車を止めたことはない。彼は後続車に追い越されるのを嫌って走り続けた。かなりのスピードを出していたと思うが、ハイウェー・パトロールに追いかけられたことはない。毎週のように往復する道なので、彼はどの辺りで取り締まりに遭うか知っていた。

 別荘では二日間過ごすのが普通だが、用意された新着レコードの数によって決まる。せっかくの豊かな自然に囲まれた中で、レコード選びに明け暮れるだけではもったいない。庭の芝生に寝転んだり、リスを眺めて可愛らしい動きを追ったり、忙しなく鳴く鳥の声に耳を傾けたり。夜ともなれば、スピーカーから流れる音に混じって車のクラクションが聞こえるニューヨークの部屋とは大きく違う。何よりも、目の前の大河を見ていれば時の過ぎるのを忘れる。対岸を長い貨物列車が通ることもある。それは半端でなく、車両の連結数は二百に達することもあった。晴れ上がった日には、空で鳶が輪を描いているのはわが国と同じだ。私はいつも大きな鷲が現れるのを期待したが、ついぞ見掛けなかった。
 ここから西に深く入り込めば、歴史的な野外コンサートが開かれたウッドストックがあり、さらに奥は保養地として人気の高いキャッツキル山地となる。ジャズやロックには興味の無い私が、野外コンサートのことを知ったのはずっと後のことだった。この界隈にパルナッサス・レコードというもう一つの取引先があった。森の中を切り開いて、大きなバンガロー風の建物が倉庫兼オフィスであり、外には二十フィートのコンテナが置いてあり、三万枚のレコードが入っていた。数の上ではハーヴィーの二倍はあった。
パルナッサスを訪ねた時は車で二十分先にある山間部のモーテルに泊まることが多かった。散歩がてらに足を延ばせば見事な峡谷があり、秋めいた頃は素晴らしかった。また、春にはイギリス庭園のように手をかけた広い植え込みに競い合って咲く花々にため息をついた。パルナッサスの経営者レスリー・ガーバー氏はラジオ番組で解説をし、数少ないがレコードやCDの制作もやっていた。彼は高名なチェリスト、ヤーノシュ・シュタルケルの甥であり、食事の時にはこのヴィルトゥオーゾの話に花が咲いた。

 ひと休みにバンガローの外に出れば野生の鹿が近づいてくることもあったし、大きなコバルト色の蜻蛉が悠々と飛んでいるのを見ることもあった。私がアメリカの風景画に惹かれていったのはそうした中で過ごした体験からである。南北戦争の少し前をピークとして、この辺りはアメリカの一時代を風靡した画家たちのメッカとなった。彼らは後世ハドソン・リヴァー派と呼ばれ、アメリカ特有の広大な風景を崇高な表現で描いた。春や夏は画材を抱えて山奥に足を踏み入れる。観光客など少ない時代、山で出会うのはライフルを担いだ猟師か画家仲間だけだった。野生動物も多くジャングルもあっただろう。古くはインディアンに遭遇したかも知れない。危険を顧みない男たちはひたすらスケッチに励んだ。ここで大キャンバスを広げる無謀な画家はいない。リアルなスケッチを覚え書き程度に何枚も描き、必要な部分だけ色付けした。
 彼らはウッドストックや隣町キングストンに宿をとり、記憶に残っている風景をスケッチして明け暮れ、冬になればいっせいに退散した。ニューヨーク十番街には画家仲間が寄り集まっているスタジオ・ビルがあった。芸術家コロニーとも呼ぶべきこのビルの住民のほとんどは画家であり、この中から歴史に残る大画家たちが巣立ったのだ。彼らは描き溜めたスケッチを元に、ここで大作に取り組んだ。現在、アメリカの美術館であればどこでも、代表的な風景画家たちの大キャンバスに描かれた作品を誇らしげに展示している。

 ハーヴィーとパルナッサスを同時に訪れたことは滅多になかった。それぞれに取引量が多く、マンハッタンから出直すほかは無かった。選び終えたレコードは時には腰まで届く高さの山を幾つも作る。その前に坐り込んだハーヴィーと私はボクシングを始める。といっても殴り合いではない。魚市場のセリのように値付けを戦わすのだ。時にはハーヴィーが先になり、時には私が先になって希望価格を示す。ハーヴィーが口をへの字に曲げれば、私は少し高くしてやったり、私が首を傾げれば、ハーヴィーは肩をすくめて安くしたりする。興奮してやり合いが始まることもある、このことをハーヴィーはボクシングと呼んでいたのだ。数百枚のレコードの値踏みを終えるには二時間以上もかかる。多くの場合、価格に同意できなかったレコードを「わざわざ来てくれたのだから半値にしよう」と、にやりと笑ったハーヴィーが言い出す。勿論これを見込んで、最初から振り落とすものを増やすことはなかった。長続きする取引の秘策は互いの誠意に尽きる。本気で闘わすから理解し合えるのだ。邪念はいささかも入ってはならない。
 ハーヴィーのレコードはオペラがやたら多い。だが、オペラのレコードは買い手が最も少ない。何処の取引先でもオペラは山のようにあり、彼らは真っ先に売りたがっている。個人的にはそれらが欲しくてたまらない私だが、ぐっと堪えて目を移す。物知りのハーヴィーは、どんなオペラ・レコードでもセールス・ポイントを心得ており、一つでも多く売ろうとする。私が考えもしなかった殺し文句にほだされて買ってしまうこともあった。
 別荘というものは都会の喧騒を離れて体を休めるためにあるものだが、その目的で私が足を運んだためしはない。だが、往復の道行きは心休まった。ニューヨークという世界一の大都会は、東京の人混みこそないが、足早に歩くビジネスマンの間に埋もれて歩くのが身に堪える。郊外の、整備が行き届いた終わりのないような長い道は、信じられないほどの緑に包まれている。春は若葉が目を奪い、秋には褐色や黄色が主となった紅葉が鮮やかだ。不思議なことに楓の類が少ないために赤色に乏しい。夜のドライヴは退屈だ。ハドソン川に注ぐ小さな川によって濃霧が発生し、三十メートル先も見えぬようなところを、ハーヴィーは速度を落とさずに走る。ニューヨークではこれほどの霧に出合ったことがない。心を割って話せたハーヴィーも、帰らぬ人となって十年を越える歳月が流れた。

ギルマン
  自慢のレコードを掲げ持ったハーヴィー・ギルマン氏


筆者
  別荘の前での筆者。左側遠景にハドソン川が見える。

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