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エセー 《観たい・言いたい・聴きたい》



第25回 2025年11月25日

画家ベックマンの初めと終わり


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 「ん・・・」と、男はふと目覚めた。くっつきそうだが僅かに開いた目に映った世界は、最初ぐるぐる回って万華鏡から覗いているように形が定まらない。まだ大分酔っているが次第に落ち着きを取り戻し、気配に振り向いて、朧気に見える人影に首をふらつかせながら目を凝らした。「あいつらは、昨晩の役者たちだ。ああ、喜劇かと思って小屋に入ったら、シリアスな風刺劇だった。戦争は終わったのだから、明るい喜劇で笑いを振りまいてくれれば良いものを。そうだ、よぼよぼの爺さんが、あの車で煉瓦を運んでいた。何という世の中だ。爺さんが躓いたとき、俺が手を貸してやった。爺さんは言っていた。『戦争が無かったなら、わしがこんなことをすることは無かっただろう』」と。
 「ん・・・、戦争が、戦争が悪い」。そう言いながら、再びビルの扉に背をもたれてこくりこくりし始めたが、しばらくして、また上半身を起こした。「あの爺さん、息子を失くしたんだ。全く戦争が悪い。若者が何と少なくなったものか・・・何だ、猫か」。目に入った猫は異様に大きかった。身動き一つせず落ち着き払っている。「猫はこうしたもんだぜ、おい、フランツ!君の描いた猫はなんて美しかったんだ。許してくれ、俺は君の心まで傷つけてしまった。君は君の描いた楽園で、優しい動物たちに囲まれて慰め合ってくれたまえ」。戦争の空気が漂い始めた頃、動物画家フランツ・マルクとマックス・ベックマンが戦わせた表現についての論争は有名だった。そのマルクは戦地で命を落とし、ベックマンの心もまた、前線での一年間の体験でずたずたに引き裂かれていた。
 男は涙目で町並みを見遣った。「何だこりゃあ。どの建物も傾いているじゃないか。ここは、アムステルダムか。ドイツでは、こんな建物は決して作らない。それ、道路も歪んでいる。まともじゃない、全くまともじゃない」。そう言いながらふらつく膝で立ち上がり。男はシナゴークの方に歩き出した。「ああ、綺麗だ。まるで刃物のように鋭利な月だ。おい、落ちてきてこの胸を刺してくれ」。感傷的になった酔いどれの男は、ぶつくさ言いながら立ち並ぶビルの谷間に消えた。と、こんな話がこの絵から聞こえてきそうな気がするのは私だけだろうか。

 ベックマンは印象派や古典絵画から多くの影響を受けた後、第一次世界大戦の惨禍をわが目で見て、画法が変わったと言われる。一九一九年という戦争の終わりに描かれたこの絵はベックマンの再出発点であると考えても良いだろう。除隊後、戦前活躍していたベルリンには戻らず、療養のためフランクフルトに住み、こうした絵を描いていった。この絵がフランクフルトのシュテーデル美術館所蔵であるのはもっともなことだ。さて、私は二〇〇八年にこの絵を前にした時の感想を述べたい。
 抽象画は描かなかったベックマンだが、この《フランクフルト・アム・マインのシナゴーク》という絵にある街角のすべての形が歪んでおり、近い将来彼の絵の主役となる黒いはっきりした輪郭線も見える。フランクフルトの中央には現在二つのシナゴークがあるようだが、第二次世界大戦による空襲を受ける前の数については知らない。現在のフランクフルトでのこの近辺は、少し離れた高層ビルの地域と違って、今も大きくは変わっていない。戦争での衝撃を抱えてフランクフルトに移り住んだ彼の筆は、写実的に描くことを拒否していた。こうした絵の場合、空間処理こそが関心事となった。
 ここにある建物は勝手に向きを変え、まるで生きているように滑らかな動きを見せている。街路灯を含め、窓も柱も水平を保っているものは一切なく、全てが不安定、いや、動的ですらある。遠近法が定まっていないので滅裂なのだ。そんな中で、やや中央寄りに上から三日月、三人の朝帰りの一団と横を向いた猫が存在感を示している。道具立ては極めて多いが、玉葱型の屋根を持ったシナゴークが主役であり、ファサードの窓の上部にデザインされた「ダヴィデの星」が控えめに宗教性を感じさせる。三日月は広告塔にも呼応して描かれ、こちらはイスラムやユダヤ教を思い起こさせる。
 ベックマンが熱心なユダヤ教の信者であったかどうかは知らないが、カバラ思想に関心を持っていたらしい。この百年ほど前、フランツ・リストに先立つ世界最高のピアニストと言われたイグナーツ・モシェレスは、フランクフルトのシナゴークでユダヤ人銀行家の娘シャルロッテ・エンプデンと結婚している。ユダヤ人の結束は固い。モシェレスはメンデルスゾーンが熱愛した音楽家でもあり、シューマンや多くの音楽家の尊敬の的でもあった。
 ベックマンの話に戻る。彼は十年後フランクフルト・シュテーデル美術館付属美術学校教授となるもナチスに追われ、アムステルダムに逃れる。そこでの画業が彼の最盛期と言われるが、最晩年はアメリカに移住した。

 ベックマンを語るに避けて通れないことがある。この時代はドイツの画家たちにとって受難の連続であった。ヒトラーに、なまじ絵画の心得があったのが災いしたと私は思っている。この犯罪者にとって、己の学んだ写実的古典的な美術以外を認めることは出来なかった。彼はフランス絵画に対抗して育ちつつあったドイツ近代絵画を全く理解できず、退廃芸術の烙印を押し、抹殺を図った。ルターの宗教改革の後、偶像破壊の嵐が北ヨーロッパに吹き荒れ、多くの美術品にとっては受難の連続であった。そうしたまさかの歴史が、我々に直接つながる時代に繰り返されたのである。ベックマンをはじめ多くの表現主義の画家たちは最大の被害を被った。ベックマンに限っても五百を超える作品がナチス・ドイツに没収され、焼却または処分されたと言われる。
 その上、美術学校の教授を罷免され、身の危険を感じたベックマンは、危ういところでファシズムの毒牙から逃れる。ナチスはオランダにも攻め入った。ロッテルダムは焼け野原になったという。アムステルダムにもいつ手が及ぶかもしれない。ベックマンはそうした恐怖の中でも描き続けた。彼の芸術家魂は筆を休めることを許さなかった。
 ベックマンは画業において、風景や町並みを題材にすることは稀であった。オランダ絵画の影響も受けていた彼は、宗教画の三幅画を取り入れた大作を九点(十点とも言われる)残した。専門家の指摘通り、これらが代表作と呼ぶにふさわしいと私も思うのだが、ここでは珍しい風景画を取り上げたい。フランクフルト時代の一九二九年、ベックマンはカーネギー国際展で受賞し、さらに十年後のアムステルダム亡命時代には、ゴールデン・ゲート国際展で一等賞に輝いた。これが彼にアメリカへの希望を抱かせたのかも知れない。もちろんアメリカでは既に名が知れわたっており、待望されていたようだ。

 ベックマンが戦後オランダからアメリカに渡った理由はもっと他にあったかも知れない。この《サンフランシスコの眺め》という絵の描かれた一九五〇年に六十六歳で命を落とすことが無ければ、彼はドイツに舞い戻ったようにも思われる。何故なら、当時のアメリカの前衛絵画の風潮の中に、彼は己の居場所を見出すことができなかっただろう。それはともかく、アメリカ生活にすっかり慣れた彼は、太平洋を見たくなった。クールベやモネに限らず海を愛した画家は多い。サンフランシスコは美しい都会だ。世界中旅をして回っている私にとっても、アメリカでは最もなじみが深く愛すべき町である。
 四年前、ダルムシュタットでこの絵に出合ったときは懐かしさが込み上げてきた。私は鉄道の便とか宿代を考えて、フランクフルトを避けマインツに泊まる事が多かったので、そこから足を延ばしたのだろう。ダルムシュタットの町に降り立ったのはその時一度限りだ。どのような経緯でサンフランシスコの風景画がダルムシュタットにあるのか理解に苦しんだが、ベックマンにとってフランクフルトは第二の故郷だったので、この絵が鉄道で三十分の町ダルムシュタットにあるのは考えてみればふさわしい。
 サンフランシスコはローマとよく比べられる『丘の町』だ。この絵は、その町の西寄り北のはずれ(さらにこの西北に、ほどなくして名勝ゴールデン・ゲイト・ブリッジが竣工する)になるフォートメイソン地区辺りの丘から東に目をやったもので、遠景にはサンフランシスコからバークリーやオークランドを結ぶベイブリッジが見える。あかつき時で名残の三日月が出ているのは、先に取り上げたシナゴークの絵と同じだ。橋のたもとに大きなライフルの弾の形で窓のない(実物は上部に窓がある)白い建物が描かれているが、これは有名なコイト・タワーだろう。この建物は丘の上に立っているので海抜百メートルは越える。今でも、この周辺には高層ビルを建てない決まりでもあるのだろうか。いずれにしても展望台として見ごたえのある観光ルートである。
 ダウンタウンに立ち並ぶビルと、手前の緑、そして弧を描くハイウェイの対比がこの絵を特徴づけている。これは大地震で壊滅してから四十数年を経て、見事に復興したサンフランシスコの姿であり、地震の経験のないドイツ人には理解しがたいことだろう。こうした美しい風景はサンフランシスコでは随所にある。ベイブリッジを抜けて一時間余り車を飛ばせばゴールド・ラッシュの現場を通り抜けて、州都サクラメントに着く。この一本道のドライヴも快適だ。澄み渡った大空を飛びゆくペリカンなどの渡り鳥の群れや、平原から昇る朝日は絵のように素晴らしい。

シナゴーク
  ベックマン《フランクフルト・アム・マイン》のシナゴーク
   1919年作  シュテーデル美術館

サンフランシスコ
  ベックマン《サンフランシスコの眺望》
   1950年作  ヘッセン美術館(ダルムシュタット)

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