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エセー 《観たい・言いたい・聴きたい》



第24回 2025年11月18日

ブラームス《交響曲第二番》 ダムロッシュ指揮


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 何ということなしにレコード針を落とし、聴くこともなく流れて来る音楽にぐいぐいと引き込まれてしまうことはそう多くない。まるでエネルギーの塊と言おうか、自己主張の激しさと言おうか、未体験の響きによって耳も頭の中も独占され、全神経が麻痺してしまったような瞬間。勿論それはいささかも苦痛でなく、むしろ愉悦の境地に遊ばせてもらっているような、そうした稀有の体験をしたのが、私と指揮者ウォルター・ダムロッシュの出会いだった。
 彼の名を知る人はアメリカでも少なくなった。ステージの思い出を語る人もそろそろいなくなるだろう。一九二八年、ニューヨークで鎬を削っていた二つの楽団、つまり、遠い昔、父レオポルド・ダムロッシュが組織してウォルターに引き継がれた楽団と、それより一世代前のチャイコフスキーが生まれた頃に創立され、その後多くの楽団を吸収し、力をつけていった楽団があった。
 前者は、指揮者の元祖と呼ばれるハンス・フォン・ビューローの薫陶を受け、ドイツの伝統を身につけたダムロッシュ親子による指導であったにもかかわらず、フランス物にも目を向けた広いレパートリーを誇り、後者の方がむしろドイツ音楽を主として演奏し、オランダの巨匠メンゲルベルクを招聘して一気に演奏能力を高めていた。「天下に二王無し」の格言の如く、この年、これらの歴史ある二つの楽団が合併して、押しも押されもせぬ全米一のオーケストラが誕生した。これが、今なお摩天楼に君臨し続けるニューヨーク・フィルハーモニーの事実上の始まりである。
 ニューヨーク・フィルハーモニーの最初の記念すべき事業は、ウォルター・ダムロッシュがガーシュインに委嘱した《パリのアメリカ人》の初演であり、この曲を書くためにガーシュインはパリに渡り、プロコフィエフ、ストラヴィンスキー、ラヴェルそしてミヨーなどと交流を重ねたと言われる。そうした中で育まれた楽想はアメリカならではのジャズ的要素を加え、ガーシュインはカーネギー・ホールの歴史に輝かしいページを残した。ところが、同じ栄誉を受けるべきウォルター・ダムロッシュは、この時を最後に潔く指揮活動から身を引く。何故なら、五歳若いトスカニーニが登場し、翌年の常任指揮者に就任が決まったからである。以後七年間、トスカニーニはこの楽団の黄金時代を築き上げた。ウォルターはそうした歴史の流れを予感していたのかも知れない。そんなことから、ウォルター・ダムロッシュをステージに観た人は、もはや居ないだろうと思うのだ。

 六十七歳で指揮台を離れるなど、今の常識では通用しない。むしろ巨匠として名人芸が期待される年齢である。だが、ステージから退いたウォルター・ダムロッシュは、決して音楽界から遠ざかったわけではない。ここに感動的な物語が始まる。ドイツの音楽教育を知る彼は、少年少女の健全育成のため、音楽の力によって貢献しようと思ったのだ。親の代から続いていた有力者そして大企業とのコネクションに恵まれていたウォルターには、NBC放送の大きな後ろ盾があり、その協力の下、クラシック音楽の普及のため、若い芽を育てることに残りの生涯を捧げたのである。
 教室の生徒達にはテキストが配られ、皆が粗末なラジオから流れてくる音に夢中になって小さな耳を傾けた。今でもアメリカではオペラやコンサートでのレクチャーが盛んだ。オペラ開演に先立ってロビーで行われる見どころ聴きどころの解説を楽しみにしている愛好家は多い。レナード・バーンスタインのレクチャーは広く知られるが、その先駆けとなったのがウォルター・ダムロッシュであった。このようなことを知ると、それから百年近く経った今、わが国の音楽教育または情操教育の貧しさが悲しくなる。
 トスカニーニが生み出す頑強な音楽を、ウォルター・ダムロッシュはどのように受け取ったのだろう。己の力不足を恥じ入っただろうか。敵意を剥き出しにして、再びステージでの演奏に意欲を燃やしただろうか。あるいは、己の歩んできた道を誇示して、トスカニーニを口汚く罵っただろうか。否、自身の選択であったかどうかは分からないが、まだまだ歴史あるヨーロッパの土壌にはほど遠い新世界の風土の中で、ヨーロッパ音楽の頂点を極めた偉人たちに取り巻かれて育ったウォルターであればこそ、この新興国の未来を託す若い世代に音楽の真実を知らしめるため、いとも簡単に新たな生き方を始めたのである。

 私が手に汗を握って聴いたのは、一九二六年または翌々年録音のブラームス作曲《交響曲第二番》、主兵のニューヨーク交響楽団をウォルター・ダムロッシュが指揮したレコードである。これはアメリカのパスト・マスターズというプライヴェートな組織によってプレスされた珍しいものだ。基本的にロマンティックな演奏で、自由なテンポ運びで進める指揮者にオーケストラはしっかり付いていく。メンゲルベルクのように過度なルバートや抑揚は無く、楽譜の要求に則した範囲内での急緩の動きは目立つ。これは、当時の音楽表現の当たり前の姿である。初期電気録音の貧しさの中で、驚くほど鮮明であることは、これと同じ時期のフルトヴェングラーの演奏と比べればよく分かる。時折流れてくる優しい腕につかまれるようなフレーズには指揮者の懐の深さが感じられる。
 当時のアメリカにあって、ブラームス直伝の音楽とはこれだと胸を張って言えたのはウォルター只一人であっただろう。奏者の技術の拙さは多くの箇所で露見されるが私は意に介さない。メンゲルベルクやトスカニーニは、言ってみれば昨日までヨーロッパの第一線で活躍しており、それをそのままアメリカで再現した。だが、いかにヴァーグナーやハンス・フォン・ビューローの教えを受けたとは言え、ウォルターの表現の底には三十年前のヨーロッパが横たわっていた。何の疑いも持たず、ウォルターは古き良き時代の音楽を披露したのだ。リアルタイムでヨーロッパの風を運んできた指揮者と比べるのは可笑しい。むしろ、トスカニーニやフルトヴェングラーが生み出しえなかった、変わることなくその身に蓄えられていた正統派の基本が、ウォルターの中で変貌を遂げて鳴り響いたと判断すべきだろう。
 この翌年からトスカニーニは合併されたこの楽団に君臨し、同時代のヨーロッパを沸かせた高水準の音楽を聴かせる。聴衆の耳は魔法をかけられたように、それまで自分たちが贔屓にしていたウォルターを大過去と言う名のごみ箱に捨ててしまう。この後トスカニーニが築き上げる黄金時代には、ある意味で幸運な下地があったのだ。音楽表現は日々変化している。それは時代と歴史、そして風潮を反映し、時には新しく思われたものが、翌日には古く感じられ、その逆もある。聴く者は公平な耳で接して欲しい。録音した時代を映し出している演奏を、幾多の変貌を遂げた今の演奏と比べれば、大切な真実を学ぶ機会を失ってしまう。己をその時代に移して耳を傾けたなら、この演奏のフィナーレは必ずや得難い感動をもたらしてくれるだろう。

 演奏スタイルが古いという理由で多くを排除することは、みすみす宝を拒んでいるに等しい。果たして、演奏の古さ新しさは良し悪しの尺度になるのだろうか。大バッハ自身のオルガン演奏を目の前で聴いたなら、古めかしくて聴けないだろうか。われわれは、録音と言う利便性でもって百年以上前の演奏を聴くことができる。そこには確かに時代性を感じる。だが、地理的な隔たりが旅行の楽しみを増し、時間的隔たりこそが感動を豊富にするのである。そのような聴き方を心掛けている私は、今でも七十八回転の古い蓄音機から聴こえてくるフリッツ・クライスラーの演奏にも、胸躍らせている。
 ニューヨークで二つの楽団が競り合っていた頃、ウォルター・ダムロッシュ率いる楽団が優位に立てたのは、彼が経済界に多くのコネクションを持っていたからに他ならない。温厚な性格がそうさせたようだ。特筆すべきはアンドリュー・カーネギーとの交流で、旅の途中、客船の中で出会ったのが始まりだったと言われる。一八九一年、記念すべきカーネギー・ホールの杮落し公演は、ダムロッシュとチャイコフスキーによって行われた。
 私もこの由緒あるホールでの音楽会経験は多い。半円形に囲まれたステージは狭く、演奏会形式のオペラを聴いた時など、肩を寄せ合った合唱団が気の毒で、客席の方がゆったりしていた。馬蹄形のオペラ・ハウスに近い構造で、最上階でメシアンの《トゥランガリラ交響曲》を聴いた時は、鮮明な響きに驚いた。固い壁でありながら、決して乾いた響きではなく、マリス・ヤンソンスの指揮するコンセルトヘボウ管弦楽団の演奏では、ショスタコーヴィチの《交響曲第七番》から、「いぶし銀の響き」を引き出していた。
 ウォルターの兄フランク・ダムロッシュもまた、合唱界や音楽教育界に名を残している。戦後のわが国のように、アメリカの優秀な人材がヨーロッパに流出していることに耐えられずにいた彼は、ニューヨーク芸術学校の校長となり、ヨーロッパの水準に届く多くの芸術家を育て上げた。これがやがて世界に名を轟かすジュリアード音楽院となるのである。ダムロッシュの名は、創設期のメトロポリタン歌劇場の支配人を務め、堅固なドイツ・オペラの伝統を培った偉大なる父レオポルドに始まり、フランクとウォルターと言う兄弟の才能によって、アメリカ音楽史上忘れることのできない業績の数々を残した。いずれの国でも同じだが、先人の輝かしい存在は決して忘れてはならない。

ダムロッシュ
  ウォルター・ダムロッシュのレコード・ジャケット(部分)

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