Home
オンラインショップ
通販リスト閲覧
ご利用ガイド
コンディションについて
アクセス
レコードへのこだわり
取り扱い絵本
海外レコード買い付け
  よもやま話
エセー 目次
リンク集

 買えば
  買うほど
   安くなる
 1万円以上で1割引 
 2万円以上で2割引 
 3万円以上で3割引 

お問い合わせは
 こちらへ

info@sendai-record.com


携帯ショップ用QRコード

エセー 《観たい・言いたい・聴きたい》



第19回 2025年10月14日

ヤン・ファン・エイク《神秘の仔羊(ヘントの祭壇画)》


 <- 第18回 | エセー目次 | 第20回 ->


 マスタードの町として知られるディジョンに宮廷を置いたブルゴーニュ公ジャン一世は、無怖公と綽名され、宗主国フランスとことごとく対立した。フランスを支えていたオルレアン公ルイを暗殺し敵味方なく震え上がらせ、ブルゴーニュ軍はパリに入城し全市を軍事制圧。これに恐れをなしたフランス王太子シャルル(後にジャンヌ・ダルクの助けで国王シャルル七世として戴冠)はパリを追い出されて南に逃れる。さらに、虎視眈々とフランスの獲得を狙っているイギリスを加え、緊張度は瞬く間に高まる。そんな中でも公国の文化政策に力を入れたジャン一世により、ブルゴーニュ宮廷はヨーロッパでもっとも華やかな文化に溢れ、世界一の繁栄を見せた。
 ドイツに近いところにある故郷マーサイクを出てから、フランドル各地で画家としての名声を高めたフーベルト・ファン・エイクは、ブルゴーニュの公子に召し抱えられた。公子は父ジャン一世の死によりフィリップ三世となりブルゴーニュ公を継ぎ、フーベルトは引き続き仕えた。善良公と呼ばれたフィリップ三世の宮廷画家は父の代から人望の厚いアンリ・ベルショーズだった。その後ヘントを訪れたフーベルトは、当時は修道院だったシント・バーフ聖堂に関わる仕事に従事したが、一四二〇年、富裕な商人ヨース・フェイトとその妻エリザベト・ボルートの依頼により《ヘントの祭壇画》の制作を開始した。
 この十年ほど前からフーベルトは、絶妙な割合で混ぜ合わされた油とワニスによる溶剤を用いた絵具の開発を進めていた。これがやがて油絵具として完成されるのだが、フランドルで発明されたものだと認められても、フーベルトによるものとは断定されていない。少なくとも、それまでのテンペラ画に代わって一段と写実性や明度を増した画材によって生み出された《ヘントの祭壇画》は世界最初期の油彩である。

 その頃、フーベルトの弟ヤン・ファン・エイクはデン・ハーグの宮廷画家として活躍していた。ネーデルラントに度々出かけたフィリップ三世が、少なくとも高名な画家であったヤン・ファン・エイクの噂を耳にしたことはあり得る。ヤンはブルッヘに工房を持ちながらデン・ハーグの仕事を請け負っていたと言われる。一四二五年ヤン・ファン・エイクはフィリップ三世に認められ、アンリ・ベルショーズの跡を継ぎブルゴーニュ公国の宮廷画家および外交官として仕えることになった。外交官としては二枚の《イザベル・ド・ポルテュガルの肖像》を描いたことが知られる。
 一方、翌年兄フーベルトは大作《ヘントの祭壇画》の制作を中途にして死去。その翌年ブルッヘに移り住んだ弟ヤンは、ブルゴーニュ公の命による旅行などで慌ただしい日を送っており、数年経ってやっと兄が描き続けていた隣町ヘントでの祭壇画制作を引き継ぎ、生涯をブルッヘで暮らすことになった。
 当時ブルゴーニュ公国とフランス王国は六年間の休戦期間にあり、平和の中にブルッヘに落ち着いたヤン・ファン・エイクは、立派な工房を持ち、腕利きの弟子を数人抱え、依頼主であるヨース・フェイトの協力、なかんずく十分な金銭的支援を得て、一四三二年、驚くべき速さで壮大なパノラマ的多翼を持つ《ヘントの祭壇画》を完成した。確かに、百年戦争の真っただ中にあって、芸術文化が栄えたブルゴーニュの魅力は計りがたいものがある。これは巧みなバランス外交によるものかも知れない。フランスとイングランドが疲弊していくのを前にしながら、しかも、フランスの臣下という立場で、時にはイギリスに肩入れしながら立ち回り、わが世の春を謳歌していたブルゴーニュ領フランドルが残した遺産は、瞬く間に世界に影響を及ぼしていった。

 《ヘントの祭壇画》は完成後百年以上経て洗浄された。それによって発見されたオリジナル・フレームの銘文には、「ヨース・フェイトの求めに応じ、最高の画家フーベルト・ファン・エイクがこの祭壇画を描き始め、彼に次ぐ優れた画家ヤン・ファン・エイクが完成させた」と記載されている。なお、この作品はファン・エイク兄弟の他にも数多いフランドルの画家たちの手も加えられているという指摘は後を絶たない。この大作はフーベルトゆかりのシント・バーフ大聖堂ヨース礼拝所の祭壇に飾られた。なお、不思議なことにフーベルトが手掛けた作品と思われるものはこれ一点しか特定されていないので、フーベルト自身が実在の画家であったか否かについても、識者の間で長い間意見が戦わされており、結論はいまだに出ていない。名画にはミステリーがつきものである。
 その後、新教徒によるイコノクラスム(偶像破壊運動)を免れ、度々の戦火をも潜り抜け、奇跡的というべきか、ナチス・ドイツの標的にもならなかった《ヘントの祭壇画》は、信仰篤き者のみならず、宗教画でありながら普遍の価値を持ち、世界中の芸術を愛する人々の心のよりどころとなっている。それでいて、この祭壇画に先立つヤン・ファン・エイクの作品もまたほとんど残されていない。何と、この傑作が処女作に近いのである。
 この絵の完成度を見るに、ここに至る過程のヤン・ファン・エイクの画業について、研究者たちは今もって探し続けている。こうした世界の常として、他の画家の作品として残されていることも多いからだ。この祭壇画の完成後に描かれた作品は一冊の画集を埋めるに十分な数があるが、それらの画業をもってしてもこの傑作を凌駕するものは無い。それどころか、これは歴史上頂点を極める美術品であると評価されている。

 この絵には、後世に影響を与えた多くの要素がある。画面からすべての生命体を取り除き、広々とした野と遠景のみを残してみれば、私たちはそこに風景画の原点を見るだろう。また、この祭壇画は二四枚という多くのパネルから成っている。そこにはアダムとイヴの原罪があり、受胎告知があり、旧約新約を問わず多くの宗教的題材で埋め尽くされている。それらは、ゴシック美術(ヤン・ファン・エイクは有能な写本彩色画家でもあった)の総決算であると同時に、オランダ絵画やルネサンス美術の扉を大きく開く鍵を握っている。さらに、彫刻を思わせる質感や、ドレープ(衣服の襞)は、大彫刻家スリューテルのみ表現し得た写実に迫っており、これは、イタリア・ルネサンスの頂点に比肩するものであろう。加えて、寄進者ヨース・フェイトとその妻の肖像は、直接オランダ絵画の肖像画興隆に繋がる。私は自信を持って言いたい。ルーヴルやエルミタージュそしてメトロポリタンなど超一流の大美術館で有り余る傑作を前にした時と同じ感動、いやそれらに勝る感動を、あなたは、この絵を観ることで得るであろう。
 二〇〇四年四月四日、私はこの祭壇画をヘントの聖バーフ教会で小一時間独り占めできた(ちなみに、この八年後から祭壇画は修復作業に入ったそうだ)。震える足で目を近づけたり遠のいたり、あらゆる角度から確かめ、扉の絵を見るために何度も陰に回った。時折パネル両翼の開閉に来る親切な係員は私の熱心さを感心して見ていた。音楽に殊更興味を持っている私は、特に奏楽の画面が楽しめた。勿論《神秘の仔羊》については同心円的な、そして自然さを伴った左右対称を、さらには正確な遠近法に只々見とれた。どのような細かい部分にも配慮の行き届いた描写だった。これは宗教を超越した人間的な主題であるからこそ、宗教の意味を持つのだというパラドックスを感じた。

 多くを話すのはとても手に負えないので、ここでは個々の聖女に個性を持たせた群像についてのみ触れたい。それぞれが聖女の象徴である殉教を意味する棕櫚の葉を持ち、アトリビュート(持ち物)がその名を特定している。一群の先頭左側から、子羊を抱えた聖アグネス、塔を持った聖バルバラ、そして恐らくアレクサンドリアの聖カタリナ、花かごを持つ聖ドロテア、三列目に一本の矢を持つ聖ウルスラなどが判別できる。ちなみに、ヴィーン美術史美術館で所蔵するアルブレヒト・デューラーの《聖三位一体の礼拝》に描かれた聖女群の第一列目も、配列は逆だが同じ聖女たちが並んでいる。果たして、右と左の位置的な優位はあるのだろうか。デューラーの制作年はルターによる改革の少し前であり、カトリック信仰を土台にして描かれたもので、聖女の序列なども考えているのかも知れない。
 油絵の手法は隠されたにもかかわらず、その使用は広く知られており、例えば同時代に描かれたロベール・カンパンの《聖女ヴェロニカ》(フランクフルト・シュテーデル美術館蔵)は油彩であり。ヴェロニカの表情などに、油絵ならではの緻密な描写が見て取れる。この頃、宗教画の一分野として聖女のテーマは広く好まれた。信仰に身を捧げた女性を崇めることで、人々は己の思いを神に届けたかったのだろう。殉教には数えきれない形があった。釘が突き出た車輪に括りつけられるとか、生きながらにして眼をくり抜かれるとか。
 残酷な仕打ちに耐えた女たちの姿は幼い子供らに宗教心を植え付けるにも大いに役立った。一人一人の聖女が強い説得力のある物語を持ち、信者は涙して彼女らを愛した。弱き腕を持つ女なればこそ強く胸打たれるのである。彼女らのひたむきさは、三度主を裏切った聖ペトロとは違う。多くの聖女の中の幾人かは「キリストの花嫁」と呼ばれる。聖母マリアに抱かれた赤ん坊のキリストが、聖女の差し出した手に指輪を嵌めてやっている図柄も多い。あり得ない光景と知りながらも、こうしたギャップを信仰はいささかも気にさせない。

神の仔羊
  ファン・エイク兄弟作 《神の仔羊》聖女群像の部分

 <- 第18回 | エセー目次 | 第20回 ->