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エセー 《観たい・言いたい・聴きたい》第16回 2025年9月23日 スメタナ オペラ《リブシェ》 喜歌劇《売られた花嫁》はスメタナのオペラ第二作目であるが、チェコ・オペラの代表作として本場では際立って有名である。この作曲家は未完の作品を含め、九つのオペラを残しており、第四作目の《リブシェ》は祝祭オペラとして、ボヘミア人が待ちに待ったプラハ国民劇場の杮落公演で初演を迎えた。オペラは伝説に語られる七世紀の王妃リブシェの姿を極めて偉大な女性として描き、チェコ最初の王朝を開くことになる夫プシェミスルを迎え、その後のチェコの歴史をリブシェが予言によって俯瞰するという壮大なドラマは、国民を鼓舞し、やがて年の初めに上演されるようになった。だが、それは必ずしも定着している訳ではなく、二〇〇九年の元旦に同劇場での上演に出合えた私は幸運だった。 民族色に彩られた《売られた花嫁》と比べ、特に力強さにおいて全く違った趣向であり、スメタナはチェコの建国物語をテーマにすることで、チェコ国民音楽の父と呼ばれるにふさわしい業績を残したのである。勿論、代表作《わが祖国》も同じ傾向を持っているが、この管弦楽曲は《リブシェ》完成後作曲に着手され、オペラが初演されるに先立って紹介された。そんな訳で、この二つは全く違った部門の作品であるが、管弦楽法などには共通する部分が極めて多い。 初演までの十年間に、スメタナの身には大きな不幸が襲いかかる。難聴である。ベートーヴェン同様、スメタナもまた聴力を失った。同じ頃書かれた《弦楽四重奏曲第一番(わが生涯より)》の終楽章では極めて高音で「耳鳴り」の音を鳴らしている。大作《リブシェ》は既に書き上げられていたが、彼の耳はかなり聞こえにくくなっていた。こうした不遇はベートーヴェンに作曲の黄金時代を築かせ、スメタナもまた克己の精神でもって、輝かしい作品を立て続けに世に送ったのである。 オペラの舞台は、キリスト教以前のヴィシェフラド城とその周辺。この史跡は《わが祖国》の第一曲目の題名ともなっており、この城をチェコの歴史の起点として認めている。亡きボヘミア王の父から女王の位を相続したリブシェが王国を治めていたが、二人の弟との間で相続争いが展開される。国民もまた女王が治めることを承服しかねている。輝かしいファンファーレの序曲で始まり、第一幕は「リブシェの裁判」と題され、長兄の不満が露呈し皆が対策を講じるも、苦悩の末リブシェは女の身で裁定を下すことを控え、調停者を迎えることを提案する。それは、リブシェが高潔な夫を迎え、彼をボヘミア王とすることを意味した。その結果、人望の厚い郷士プシェミスルを招こうということで皆は納得し「女王に栄えあれ」の合唱で締めくくられる。 第二幕の「リブシェの結婚」では、リブシェに敵対した長兄が己の恋愛の成就により軟化し、リブシェの望む方向に傾く。場面は変わってのどかな農村となり、郷士プシェミスルの徳の高さが農民たちを前に示される。そこに、鼓笛の音が聞こえ物々しい城からの使いの行列が現れ、プシェミスルを迎えるやヴィシェフラド城に向かう。偶然にも前夜夢のお告げを聴いていたプシェミスルはリブシェの求婚を謹んで受け、前途への緊張と決意を秘めた思いを歌い上げ、「勝利を!」の合唱で音楽は高潮して終わる。 第三幕は、和解した兄弟家臣らを前に、力を合わせて国造りに励むことを誓ったリブシェが結婚祝典の会場に向かう。プシェミスルは集まった人々に矛を収めて共にボヘミアの繁栄のために尽くそうと高潔な意思を示す。新王の徳に打たれた皆の間に期せずして合唱が沸き起こり、リブシェはこれでチェコの民の平和は保たれるだろうと結ぶ。 普通ならこれをもってオペラは「目出度し目出度し」で幕が下りるのだが、後に続く「エピローグ」的な場面が、このオペラにおける最大の特徴であり見せ場でもある。つまり、巫女的な性格も併せ持つ(この点はわが国の女王卑弥呼と似る)リブシェは、ボヘミア王国に将来起こることを事細かに予言するのである。このシーンは極めて感動的であり、同じスケールを持つものは世界に類を見ない。 「第一の予言」は、力強い英雄が現れ、聖なる花嫁を得て西方の脅威になろう。という、ブジェティスラフとイートカについての予言。高潮した音楽に導かれた「第二の予言」は、暗黒の西の世界からやってくるのはシュテルンベルクのヤロスラフ。その剛腕には敵うものがない。ここで、ずっと落ち着き払ったリブシェは荘厳に語り継ぐ。「第三の予言」は領土を海まで広げ、ボヘミアは繁栄を極めると、カレル四世を称える。続いて「第四の予言」は、嵐のような音楽の中に《わが祖国》の中の『タボール』と『ブラニーク』の動機が響き、リブシェは続ける。やがて、国土は荒廃するが民は心のよりどころを得る。と、フス教徒のことを匂わせる。再び穏やかになり「第五の予言」。偉大なる国王、プジェブラディのゲオルゲのことを歌い、ボヘミアの民の不屈の精神を称えて終わる。 息詰まる予言の場面の後フィナーレとなる。プラハ城の姿が背景に幻のように浮かび上がり、全員で歌う。チェコ人民は不滅である。「栄光あれ!」と。これは偉大なる国民的作曲家によって生み出された、圧倒的なプロパガンダ以外の何物でもないと私は思う。 リブシェという女性はチェコの伝説時代の象徴的な存在であり、クレオパトラの女王としての権威とノルマの宗教的権威とを合わせ持った絶対的なものである。伝説は多くの形で流布しており、チェコの歴史上最古の王朝として成立するプシェミスルと関連付けたのは、その伝説の中の一つに過ぎないのだろう。だが、物語のテーマである、人々の信頼を得ているリブシェと言え女に過ぎず、全ての裁定の権利を持つ君主は「男」であって欲しいという点は、今もって続くチェコ民族の国民性を示しているのではないだろうか。 元旦の上演なので珍しく着飾った人が多いが、ドイツに比べればはるかに地味だ。この劇場の音質はどの席でも良い。ステージに下りた幕にはうっすらと、ギリシャ劇の仮面のような顔が写っている。目がつぶれていればオイディプスになる。それは肌の粗い石の彫刻のような感触で表情は底知れぬ嘆きを示している。これはリブシェを表わしており、幕が上がると同じものが背景のレリーフとなっていた。「リブシェ」という祝祭劇に勝手な演出の手を加える者はいない。舞台も衣装も出演者の動きも、古典劇の伝統を重んじ粛々と進む。 この記念公演とも言うべき舞台で主役を歌ったのは、エヴァ・ウルバノーヴァ。ヴァーグナーを歌いこなせてやっと通用するこの役は劇的で、コントロールの利いた格調の高さが必要だ。彼女は、持ち前の度胸とキャリアの豊かさでもって、批判を寄せ付けぬ雰囲気を感じさせた。だが、プシェミスルを夫として迎えるには余りにも老けていた。一方相手役プシェミスルを歌ったスマートな体型のテノール、マルティン・バールタはバリトン的な響きの豊かさのために、この役に求められる声の清澄さは不足していたものの、風貌も歌唱コントロールも品格を十分に備えていた。 気合がこもった作風は明らかにヴァーグナーの影響下にある。だが、示導動機が頻出することはなく、幾つかの象徴的旋律が現れる。その中で、リブシェを示すテーマの反復が多いのには閉口する。スメタナという作曲家にはそんな傾向がある。だが、そうした短所が逆にスメタナらしさを生んでいるのも確かである。チェコの伝説を主題としているものの、スメタナ得意のチェコの風土を感じさせる部分は意外と少ない。歴史劇という背景を重く見たためだろう。それでも、プシェミスルが治めるスタディーチェの風土や農民の様子を表わすシーンでは民族的効果が強く打ち出されている。 「予言の場」は、このオペラを極めて個性的かつ高尚で民族性の高いものとすると同時に、有名な「フス教徒のテーマ」により《わが祖国》と強い関連性を持たせ、愛国心に訴える途方もない力を持っている。実際リブシェは伝説上の人物であり、プシェミスルはプシェミスル王朝の開祖とみられるが、双方の間には三百年の時代差がある。そこはあくまでフィクションであり、ボヘミアの二人の英雄を結び付け、“予言”によって近代までの流れの始まりが語られているというスケールの大きさを持つ。オペラの多様な歴史の中で、これほど国民的なものは見当たらない。 それは何よりも今夜の客席の反応で示された。プラハとその近辺の観客で占められていたのだろうが、彼らにとって元旦にこのオペラを聴くことは特別の、いわば神事にも近いことなのだろう。聴いている間もステージからの熱気は伝わり、何度となく胸が熱くなった。それでいて客席はいつものように静かだった。そんな客席から音楽が終わった途端怒涛のような拍手が起き、その様子に私は痛く感動した。愛国心そしてチェコの繁栄を祈念する合唱。それは「ニュルンベルクの名歌手」と同質のものであり、私はそうした心情にはあまり賛成しないのだが、それ超えて伝わってくるものがあった。そっくりそのままわが国に持ち込みたくはないが、生活が多様化している現在、何か他の形ででも感動を分かち合えるものがあればそれでよい。われわれにとっては、ドヴォルザークが最も親しめるのだが、本国では違っている。スメタナこそがチェコにおいては最も評価され愛されている作曲家であると実感した。 ![]() 《リブシェ》公演のチケット 2009.1.1の日付あり |