Home
オンラインショップ
通販リスト閲覧
ご利用ガイド
コンディションについて
アクセス
レコードへのこだわり
取り扱い絵本
海外レコード買い付け
  よもやま話
エセー 目次
リンク集

 買えば
  買うほど
   安くなる
 1万円以上で1割引 
 2万円以上で2割引 
 3万円以上で3割引 

お問い合わせは
 こちらへ

info@sendai-record.com


携帯ショップ用QRコード

エセー 《観たい・言いたい・聴きたい》



第11回 2025年8月19日

羊の鳴き声に包まれてのレコード選び


 <- 第10回 | エセー目次 | 第12回 ->


 イングランドとウェールズの境に近い古都ヘレフォード郊外に有力なディーラーがいることは何人かから聞いていた。ロビン・フッドで名高い中部イングランドのノッティンガムを拠点に、数日間の買い付けを展開していた私だが、初めてそのディーラーと電話で話し、矢も楯もたまらずに出掛けた。鉄道は乗り換えが多く不便らしいので、思い切って長距離タクシーを利用した。料金は気になるが四時間ほど緑の中を分け入って進む旅は気持ち良い。イギリスの道路は分りやすく区分されており、主要な大都市を結ぶ幹線道路はM(モーターウェイ)で示され、小さな町に行くにはA表示の道路に入る。これが田舎道になればBとなり、その先の田舎道については分からない。ドライバーは長距離に恵比須顔で、全てのランクの道路をうまくつないで走った。
 友人たちから聞いていた通り、イギリスでは道という道に、スピード・カメラがやたらと多い。大抵のドライバーは痛い目にあっているが、さすがタクシーの運転手は速度を加減してやり過ごす。写真に撮られたら料金がふいになってしまうだろう。当然のことながらMからA、AからBに進むにつれて、緑はだんだん多くなる。六月という花に溢れた季節に、並木のトンネルを抜けたり、両側一面に田園が広がったり、あるいは古い町の曲がりくねった路地をゆっくりと通り過ぎたりする。忙しいレコード買い付け旅行の中で滅多にないくつろぎを味わった。
 目的地に近くなって、ウースターという町を通った。ここがイギリスの誇る作曲家エルガーの生地であることを思い出したら、いつの間にか《威風堂々》の荘重な音楽を口ずさんでいた私。さすがに運転手は詳しい。少しの間、偉大なる作曲家の話に花が咲き、折角だから巨匠の生家でも訪ねようと思ったが、先方との約束の時間があるので諦めた。ウースターはスペルを見ただけでは容易に発音できない。どうしてもウォーチェスターと読んでしまう。これは、ロンドンで若者が集まるレスター・スクェアと同じだ。ちなみに、ここが『ウスター・ソース』発祥の地らしい。余談だが、私は『ウスター』はソースの濃さを表わしているものだと思っていた。つまり、薄目だから『ウスター』だと。

 ヘレフォードが近づくにつれて田園風景が広がり、牛や羊が草を食んでいる。ウースターの半分ほどの町、ヘレフォードの駅で迎えに出てくれたディーラー、トニー・ウィルドン氏の車に乗り換える。不思議なことに車が泥だらけ。その理由はすぐに分かった。この田舎町からさらに二十分。ハンティントンと表示された案内板のところで折れるや舗装が切れ、右に左に揺れながら速度を落とした。所々に水たまりがあるから雨が降ったのだ。イングランドは「一日の中に四季がある」と言われるほどだから、天気も気温も変わりやすいのだ。窓の上にある握りをぐっと掴んでいる私を見て、にやりと頷いているトニーだった。
 曲がりくねった農道はどんどん狭くなり、とうとう車がすれ違うこともできぬ細道。ライトをつけて、急カーヴはクラクションを鳴らしながら恐る恐る進む。余りにゆっくりした走りに首を傾げていたら、なんと、道の至る所に迷い羊がいる。道端には人も車も恐れない兎や雉。トニーは慣れたもので細かくハンドルを操作する。そうしているうちに突然急停止。前方に三十頭もの羊の群れが現れた。もちろん羊飼いも後から付いてくる。車はバックして幅の広い場所まで戻って道を開ける。何とのんびりしたことか。
 メエメエ鳴きながら我が物顔に通り過ぎる羊たち。この辺りの羊は顔だけが面をかぶったように黒い。チャイコフスキーのオペラ《スペードの女王》の映像を楽しんだ時のことである。牧歌劇の場面で縫いぐるみを着込んだ子役による羊たち、顔だけが真っ黒。私は思わず膝を打った。それはイギリス南部の名歌劇場グラインドボーンでの公演だった。それでいて、ふわふわした毛並みの体は、まるで、「この充分な巻き毛であなた方の着るものを作りなさい」とでもいうかのように白い。トニーは鼻歌を歌っている。彼も音楽好きなのだ。ベートーヴェンの序曲を二曲聴くほどの時間が過ぎただろうか。時刻は夕方七時を回っていた。羊たちの帰る時間だ。トニーは顔見知りの牧童と言葉を交わした。その後、今度は二十頭ほどの牛の群れと出会った。車の横をぞろぞろと通り過ぎるさまは壮観だ。大きな牛は羊よりものろまだ。

 こんなに閑静な田舎でレコード集めの仕事をしているとは、「何と優雅な」とでも言えば良いのか。だが、いつの間にか私も時間を忘れ、そうした初めての体験にのんびりと浸っていた。「着きました」の声がしたと思ったら、外に出たトニーが前方に向かっている。まるで踏切のような細長い薄板を持ち上げて片側に立てた。ここからが彼の敷地だった。そのまま三十メートルほど進むと母屋があった。母屋の隣にもう一つの平屋、右手に大きな納屋や、物入れの小屋。そして手入れの行き届いた広い花壇の向こうに二階家があった。農家を買うか借りるかしたのだろう。車を降りるや、取る物も取り敢えず私は奥の二階家に連れて行かれた。一階は部屋が二つ、二階は一つ。それらがクラシック・レコードで埋め尽くされていた。「三万枚かな」と私は見積った。頷いた私を見るや、トニーは母屋の手前の小さな平屋に案内してくれた。私の寝室である。
 「食事は三十分後です、日本人は魚が好きでしょう、今釣ってきます」と言い残すや、彼はそそくさと出て行った。家はなだらかな丘の中腹に建っており、前方には小川が流れている。まるで、コンスタブルの絵のような眺めである。まだまだ明るい八時過ぎ、釣竿を肩に又も鼻歌混じりに斜面を下って行ったトニー。私は荷物の整理のため部屋に入った。奥の窓を開ければさらに丘が広がり、羊が点々と見える。牧草のにおいが鼻を突くが、一面の緑が目を楽しませてくれる。しばらくして母屋から声がかかり、トニー夫妻が食卓についていた。釣ったばかりの鱒がまだ湯気を立てている。
 話は弾んだ。レコードのことではなく音楽や絵の話が多かった。奥様はカナダ出身だった。中々の趣味人で、手芸などを見せられたことを覚えている。私は働きバチだ。目の前にレコードがあるのに、ゆっくりしている自分が許せない。話を中断して席を立とうとしたら、「ちょっとご案内しましょう」と言われ、トニーに付いていった。先に言ったそれぞれの棟を巡って案内してくれた。一棟はガラス張りの広々とした温室であり、熱帯植物が密集していた。彼らは私の様子から園芸好きだと見て取っていたのだ。
 二階建てのレコード庫に移り、真夜中まで選んだ。勿論トニー夫妻は眠っている。小さなテーブルにスコーンと紅茶を用意していってくれた。年に一度目にできるかどうかの見事なコレクションだ。希少盤も多く、何よりも品質が良い。私は胸躍らせてレコード棚に向かった。このような時は二十歳若返る自分をよく知っている。疲れは全く感じない。何度もため息をつきながら丁寧に品定めをする。正直者のトニーは高い理想をもって通信販売のビジネスを始めた。だが、話を交わすうちに理想と現実とのギャップに苦しんでいるのが分かった。彼は音楽好きという理由だけで全くの素人からスタートした。他の業者のリストを当てにして価格を決め、発送業務などは自分が顧客だったころの経験に頼っていた。複雑な思いを押さえて。大きな満足感と幸福感の中で時間を忘れて作業を続けたが、机の上に置いた目覚まし時計が真夜中を告げ、去りがたい気持ちを振り切って、レコード庫を出た。

 興奮していたにもかかわらず熟睡した。五時を回っていたが、枕元で啼く羊たちの声で起こされた。部屋中に響く凄まじい声だった。実に人懐っこい羊の集団。窓は開けたまま寝ていた。窓から顔を出せば寄ってきた羊に舐められそうなほど近くにいる。見渡す限りの羊。私にシャルル=エミール・ジャックの才能があったなら、夢中で絵筆を執ったことだろう。彼の絵のように目の前の羊たちは皆違った表情をしており、私に構いなく草を食んでいた。しばらく見とれていた私だったが、再びレコード庫に向かった。
 どうやら私の仕事ぶりは気に入られたようだ。母屋に入ってテーブルにつくや、ハーブを含んでいない紅茶を希望して軽い朝食を済まし、呆れ顔の夫婦に頭を下げて、またまたレコード庫に入る。しばらくして、トニーは予定していた演奏会に私を誘った。車で二十分ほどの村ヘイ=オン=ワイ。ここはウェールズだ。小さな教会が会場で、バーナード・ロバーツというイギリスのヴェテラン・ピアニストがモーツァルトやシューベルトを弾いた。立派なスタインウェイだったが相当古いモデルで、ひなびた音を出していた。だが、その音は妙に耳に馴染む。そればかりか、教会の屋根で巣作りをしている小鳥の鳴き声が加わり、楽しいひと時だった。午前十一時に始まったコンサート。休憩で外に出ればイギリス庭園のような植え込みがあり、株の大きなルピナスや西洋オダマキの群生が見事だった。
 村で簡単な昼食をとり家に戻った私は、さらにレコード選びを始めた。この時以来毎年ヘレフォード詣でを続け、トニー夫妻とは深い付き合いになった。十年ほど経って、トニーから仕事を止めるとの話が舞い込んだ。奥様の父上の介護をするためにカナダに渡らねばならないという理由を私は理解できた。ついては二万枚のレコードを引き受けてもらえぬかという相談があった。私は数日考えてから承諾の電話をした。あの素晴らしい田舎でのレコード選びは美しい思い出として胸に焼き付いている。

 <- 第10回 | エセー目次 | 第12回 ->