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エセー 《観たい・言いたい・聴きたい》



第10回 2025年8月12日

アメリカ映画 《わが谷は緑なりき》


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 ケルン駅に近いところでレコード店を経営するトーマスは私の親友である。奥様のクリスタを伴って日本に二週間滞在。私の妻とクリスタは仲良しになり、大阪で一緒に買い物をしていた折、クリスタから贈られたのが《わが谷は緑なりき》のDVDだった。それ以前から我々はこの映画が大好きだったが、もっと頻繁に見るようになった。ストーリー展開が速く、ホーム・ドラマに近いながらも多くの示唆に富んでおり、決して飽きがこない。
 舞台となった南ウェールズは産業革命に翻弄された土地である。良質の無煙炭は鉄道や鉄鋼産業に欠かせないもので、産業革命期のウェールズ、とりわけ、カーディフとその近郊の石炭産地は空前の繁栄を見せた。十九世紀初めから見る見る人口が膨れ上がったものの、一九三〇年代の世界恐慌を境に坂道を転げ落ちるような凋落を見せる。物語はそうした時代の一労働者家族に焦点を合わせ、悲喜こもごもの展開を見せる。わが世の春を謳歌した時代が終わりを告げ、生活や人の心の急激な変化に光を当てた社会派ドラマである。この映画は真珠湾攻撃に先立つ数週間前に公開され、わが国には更に十年遅れて入ってきた。
 主人公は末っ子のヒュー。成人した彼が半世紀前を振り返って語り出すところから物語は始まる。社会の最下層で汗を流して働く姿の中に、また、ありふれた日常の中で、誰にでも起こりうる幸不幸を織り込んで進められるが、六人息子と紅一点という、炭鉱夫一家としては極めて恵まれた家族が、己の力及ばぬことで不幸に落ちていく姿がテーマとなる。明るさを失わない登場人物が多いので幾分の救いはあるものの、この家族を狙ったように立て続けに起こる不幸は、目を覆いたくなるほど残酷である。それは、ストーリー展開によって過度に陥らぬよう工夫されているが、割り切れぬ思いが残る鑑賞者も少なくないだろう。

 旅をしていると、イングランドからウェールズに足を踏み入れた途端に、道路標識をはじめあらゆる看板が英語とウェールズ語で表示されているのに気づく。ウェールズ語しか理解できない住民はほとんどいないにもかかわらず、彼らは頑なに自分たちの言葉を守り続けている。逞しいウェールズ魂が生き続けているのだろう。イギリスの片田舎、ウェールズを舞台としていながら、この映画の中に脈々と流れているものの一つは当時のアメリカ人の宗教心の強さである。それは生きる支えであり、ヨーロッパ各地からはるばる新世界に移った、故郷を離れた人々を結ぶ糸でもあった。絆と呼ぼうか、彼らの連帯が危うい時には鋼鉄の如き強い力を持って支え合った。それが、ジョン・フォード監督の意図として、ウェールズを舞台としたこの作品に色濃く投影されている。
 ウェールズはブリテン島有数の良質な石炭の採掘場を各地に持っていた。「谷」は舞台となった土地を示し、タイトルにある「緑」は、採掘される石炭や炭鉱夫たちの煤まみれの顔、そして、町中の黒く染まったイメージを払拭したい気持ちから使われている。凍傷で足を痛めたヒュー少年は、水仙が咲く春を待つ。暖かくなったら黒ずんだ野にも緑が芽吹き、そこで歩く稽古をするのだ。今の私たちの目には、産業による自然破壊にも映るだろうが、つるはしを持つ炭鉱夫たちの煤まみれの顔は誇りに満ちている。ちなみに、私はウェールズの土産物屋で「ドラゴン」の置物や炭鉱夫のカンテラなどよく見かけた。映画では、自分たちが世界の繁栄を支えているのだと、力強く心を一つにした炭鉱夫たちのコーラスが繰り返し流れる。ウェールズが「合唱王国」と呼ばれることを作者は見逃していない。幾分アメリカンな音楽だが、この映画を観る者を惹きつけてやまない大きな魅力となっている。一方で、当時のイギリスの炭鉱政策に配慮して脚色せざるを得なかった部分も多かったことだろう。その意味でも、全編に溢れる合唱が、暗いイメージを和らげるのに役立っている。賛美歌から派生したと思われる合唱は単純な中に低音部が常に和声を支え、部分的に簡単な六度のハーモニーで宗教的雰囲気を増幅する。ウェールズ民謡はスコットランド民謡ほど知られていないが、落ち着きがあり抒情が勝り、五音音階に固執せず半音階も絡ませているのは、音楽を担当したアルフレッド・ニューマンの考えだろうか。

 採掘場に向かう上り坂の一本道は、片側に低い石垣が築かれ、もう一方は戸別に四本の煙突を持つレンガ造りの長屋が連なる。これに似た建物は、今でもロンドンからヒースロー空港に向かう道で見かける。同じ棟が連なっているところが如何にも英国を感じさせる。これは映画の都ハリウッドで撮影されたもので、カーディフに遠くない南ウェールズのロダン峡谷がモデルになったらしい。撮影所に一つの町を拵えたわけで、見事にウェールズの風景を作り上げたように見えるが、遠景に見える雪をかぶった山が高すぎたり、大きな採掘場であれば乗り入れているはずの列車の線路が見当たらなかったり、手の及ばなかった部分はあるようだ。
 この風景のように極めて絵画的な場面は工夫が行き届いている。よく使われている手法は額縁効果だ。映画の始まりは枝を広げた木で空間を抜き、そこに父と少年ヒューが手を取り合って登場する美しいシーンであり、同じ効果は牧師が少年を背負って「歩く稽古」に向かう情景や、結婚式を終えた姉が新婦と共に教会を出てきたときに、やはり木の幹と枝によって生まれた額縁の中に牧師のシルエットが浮かび上がる。多くの方の目に焼き付いていると思うが、名画《風と共に去りぬ》の第一部ラスト・シーンに見られる、タラの大地を守り抜く決意をしたスカーレット・オハラが拳を高く上げ、一本の木で包まれた空間に浮かび上がる印象的な構図もまた典型的な例である。
 もう一つ忘れられないのは、始まって間もなく、遠くに父とヒュー少年。前景に現れた姉の姿を認めるや、少年は「アンハード」と手を大きく広げて姉の名を叫ぶ。少し甲高い可愛らしい声は英国教会での少年聖歌隊のボーイ・ソプラノを彷彿とさせる。さらに、映画のラスト・シーンに近い部分、落盤事故のあった地下坑道に数人が探索に入るときの場面である。少年は声を限りに「ダーダー」と父を呼ぶ。それは狭い空間の中でこだまする。物語の始まりと終わりを同じイメージで統一感を生み出すという意図は見事に成功している。

 監督ジョン・フォードはドイツ表現主義にも大きな関心を持っていたという。確かに、特に室内での影の強調とか、地下坑道での光の当て方に古いドイツ映画の影響がみられる。また、個性的な役作りが要求される三人、冷酷かつ狡猾な助祭、権威を振りかざす教師、そして弱みに付け込む家政婦ら、悪意に染まったキャラクターが幸福な流れに濁り水を注ぐ。教師には天罰が下るが、他の二人は思いを遂げる。こうした存在は刺激の強い薬味としてドラマには欠かせない、いわゆる憎まれ役である。この三人は内面を抉り出した特異な表情において正に適役である。それらは尾を引くことなく、ストーリー展開の上で簡単に済まされていて気持ちが良い。その一方で、モーリン・オハラ演ずる姉アンハードだけが、貧困の中にあって、「掃き溜めに鶴」的な違和感がある。ついでに言えば、考証を尽くしてのことだと思うが、十九世紀初頭の下級労働者の住まいとして、モーガン家の部屋は立派過ぎるように思われる。ヨーロッパでは今でもこのような家は貧困家庭ではないと思う。
 原作者リチャード・レウェリンはウェールズ人を両親としてロンドン近郊に生まれている。この作品は一九三九年、彼が三二歳の時に書かれた。若い頃から広く旅をして回り、その経験から両親の故郷であるウェールズをテーマとした作品を好んで取り上げ、炭鉱労働者の生活への関心も高かったようだ。この作品が最も知られており、歴史に根差した社会派ドラマと言って良いだろう。
 この時代のウェールズはメソジスト派が多数を占めた。禁欲主義を基本としながらも何事も自力で切り開いていくという精神は、物語の多くのセリフの中に現れる。アイルランド出身で恐らくはケルトの血も混じっていたジョン・フォードは共感を持って制作したようだが、当然宗教心は原作をも貫いていたのだろう。数多い教会の場面、食事の前の感謝の祈り、そしてグリュフィード牧師に大きな役割が与えられ、信仰の強さを感じさせる。

 イギリスでは王位継承者(わが国で言えば皇太子)のことをプリンス・オブ・ウェールズと呼ぶ。起源は十三世紀に遡り、ウェールズ人の支配者がこの敬称を使っていた。十四世紀初頭、ウェールズに侵攻して支配下に収めたイングランド王エドワード一世は、王子が生まれるなり、プリンス・オブ・ウェールズの称号を与えた。現実味を持たせるため、王妃をウェールズに従えて、現地の城で産ませるという周到さだった。つまり、ウェールズ生まれの王子であるから、この称号がふさわしいという理屈である。住民の多くがイングランドへの反感を抱き続けているウェールズ全土を支配下に収めるための懐柔策であった。ウェールズの有力者も認めざるを得ず、これが現在まで続いているのだ。その甲斐あってか、スコットランド人と比べて、ウェールズ人の対イングランド意識は穏やかである。
 このドラマの中では、炭鉱夫たちの合唱が女王陛下の御前演奏を求められウィンザー城に招かれる場面がある。彼らは「主が父ならば、女王様は母です」と忠誠心を示しており、明らかに、ウェールズとイングランドの関係を垣間見る。

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