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エセー 《観たい・言いたい・聴きたい》



第9回 2025年8月6日

サリヴァン《アイオランテ》より
『国会議員たちの入場』


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 大戦間のアメリカで活躍したシグマンド・ロンバーグの作品《学生王子》は、独特の歌い崩しはあるが、少し太く豊かな美声を持つマリオ・ランツァが歌い、映画にもなって大ヒットした。その中で、若者たちによるミュージカル・ショーの話を耳に挟んだイギリスかぶれの御婦人連のセリフが耳に残っている。「私たちはギルバート&サリヴァンのように、上品な音楽しか興味がございませんわ」と、こうした鼻持ちならない会話だった。
 この言葉は、一九二〇年代初め頃のアメリカにおけるサリヴァン評価の好例と言える。印象派の絵が飾られた客間で、彼女らの話題は己のルーツであるイギリスを席巻していた喜歌劇であり、サリヴァンは格好のブランド品だったのだろう。彼の作品には登場人物といいテーマといい、ヴェリズモ・オペラの生臭さや、オッフェンバックの庶民感覚とは違った、ヴィクトリア朝の気取りが感じられ、アメリカ人のイギリス文化への強い憧れや音楽後進国としてのひがみもあったのだろう。本国イギリスにおいて、ギルバート&サリヴァンは大英帝国の名残に浸りたい愛好家の間で、今なお変わらぬ人気を保ち続けている。
 わが国では大正ロマンの頃からギルバート&サリヴァンの名は知られるが、《ミカド》のみがやたら有名で、その《ミカド》も、日本人が神とも崇める天皇を皮肉った内容だけに、決して高い評価を与えられず、文化というよりは俗謡に近い扱いを受けていた。そんな訳で作曲家のサリヴァンもまた、オッフェンバックやヨハン・シュトラウス二世とは比べ物にならない低い評価に甘んじていた。だが、そもそもサリヴァンは歴史に名を残す近代イギリス人作曲家たちに先立って生まれた正統派天才であり、メンデルスゾーンが設立したライプツィヒ音楽院に学んだことはあまり知られていない。例を見ない喜歌劇の人気のみが独り歩きし、この作曲家によるドイツ古典の伝統を踏まえた器楽作品の数々は忘れ去られた。そうした優れた作曲技法は喜歌劇の中にあっても充分に生かされており、決して俗っぽくならないアイロニーを含んだ笑いで埋め尽くされている。
 貴族の国、紳士淑女の国イギリスにあって好まれるギルバート&サリヴァンを、ドイツ音楽理論の屋台骨を持つが故に再認識して欲しい。アメリカの貴婦人たちの気取りに結びつくのもそうした部分だが、王室と親交のあったサリヴァンが、それを鼻に掛けず庶民の目線で作曲したことは作品を聴けばすぐに頷ける。多くの喜歌劇の登場人物も、貴族や支配者に始まり、海賊、水兵、妖精、首切り役人などと幅が広い。さらにサリヴァンは為政者を皮肉で包み込み、庶民には温かな目を向けている。

 喜歌劇《アイオランテ》は「アイオランセ」と書かれることが多いが、私が実演や録音で接した限りでは「アイオランテ」と発音している。この作品は《貴族と妖精》という副題を持っているが、タイトルロール(題名役)の妖精アイオランテは出番が少なく目立たないので、私はこの副題の方が相応しいと思っている。シェイクスピアやスペンサー以来、妖精好きなイギリス人にはよく似合う物語である。内容の押さえ所として、この劇に登場する多くの男性は羊飼いの若者を除いて全員議員(守衛が一人)であり、女性は一人の娘を除いて皆妖精である。そして、この例外的な二人の男女が曲折を経て結婚するのがテーマとなる。
 その若者ストレフォンは妖精アイオランテと上院議員の長である大法官との間にできた子どもで、(妖精は適齢期以降年を取らないので)いつも若々しい。上半身が妖精、下半身は人間という折衷的な存在の彼は、『セヴィリアの理髪師』に似て、大法官を後見人とする娘フィリスと恋仲である。妖精たちを支配するのは妖精の女王であり、人間に恋をした妖精を罰する権限を持つ。アイオランテは女王のはからいで死を免れ息子ストレフォンを見守りながら川底で暮らしていた。妖精たちは彼女らの掟に縛られて生きながらもアイオランテに同情している。妖精たちが退場すると上院議員たちが厳めしく隊列を組んで現れ、妻(アイオランテ)を若くして失ったと信じている大法官は、己を後見人とする娘フィリスが身分の低い羊飼いに恋していることに困り果て、議員たちに相談する。
 こうした前提の下で、若者ストレフォンと年頃の娘フィリスを中心に、それぞれの登場人物の思惑が交差する。最終的に、議員たちのすべてに妖精たちへの恋が芽生え、妖精の女王の示す掟に従って、議員たち(守衛を含めて)が人間であることを捨てるや、見る見る背に羽が生え、妖精たちと手を携えて飛び去って行くという、極めてロマンティックなフィナーレを迎える。誠に童話の世界の物語だが、サリヴァンの音楽はドイツの伝統であるしっかりとした機能和声法に支えられ、聴きごたえ十分である。この喜歌劇はセリフで繋げられており、録音ではこれを省略することが多いが、劇進行の上での不都合はない。

 第1幕中ほどに登場する約六分間の『議員の行進』はサリヴァンの音楽性の高さと、類まれな機知を感じさせる。オペラ合唱曲として大作曲家のそれと並べて演奏しても遜色ないどころか、むしろ新鮮な楽想に耳を奪われるだろう。男声合唱団のレパートリーとしても充分に歌い甲斐があるが、極めて見事に作られているオーケストラ部分をも生かせば、アンコール・ピースとしても大いに花を添える。スコアの入手は難しいが、ヴォーカル・スコアであれば古くからチャペル社のものがあり、その後シャーマー社からも出版されている。どちらも目立った違いは無い。
 主調は明朗快活な変ホ長調で中間に荘厳な変イ長調を挟み、あっさりした終止部を持つ。スネア・ドラムで隊列に軍楽風な号令を掛け、トランペットの分散和音によるファンファーレが続いて曲は始まる。屈託ないリズミカルな主題に時折イギリス独特の典礼音楽的なムードを織り交ぜながら変化をつけ、敬愛するメンデルスゾーンさながら親しみやすいメロディーがいくつも現れ、それらは色合いが統一されているために、まとまりある展開を見せる。雰囲気としてはエルガーの威風堂々を軽めにしたものと言えよう。だが、この曲はエルガーの作品に二十年も先駆けて作られており、その後のイギリス祝祭音楽に少なからず影響を及ぼしていると思われる。
 リズミカルな伴奏に支えられた中間部の緩やかで厳かな雰囲気は、忘れ難い印象を持っている。この喜歌劇は妖精と議員という、いわば自由な存在と、法の執行者という厳めしい存在に対照的な音楽が与えられている。この『議員の入場』は誇り高き立憲王国の上院議員たちが初めてステージに現れる場面に与えられたもので、それまで支配的だった空を舞うような軽さと明るさを持った妖精や牧歌的な雰囲気とは打って変わった、象徴的音楽が用意されたのだ。よそ見もせずに真直ぐに胸を張って歩く、かつらを被った上院議員たちを、皮肉たっぷりにサリヴァンが描いた風刺画である。さらに、歯切れの良い掛け声が合いの手のように加えられ、得も言われぬ滑稽味や人間味を生み出している。この『議員の入場』のテーマは彼らが退場する場面でも再現される。

 前世紀の終わりごろまで頻繁にロンドンを訪れた私は、ストランド通りに常宿をとっていた。コヴェントガーデン歌劇場に近く、十分歩けばウォータールー橋を渡ってロイヤル・フェスティヴァル・ホールへも行けるという利便性があった。ある時演奏会で意気投合した初老のアメリカ紳士と夜遅くまで話し込んだ。お金持ちの彼が泊まっていたサヴォイ・ホテルのロビーにあるカフェだった。そのホテルの入口に隣り合って建っていたのが有名なサヴォィ劇場であり、灯台下暮らしというのだろう、私のホテルは道路を隔てた向かい側にあるのに、ギルバート&サリヴァンの本拠地であるその劇場を知らずにいたのだった。
 興行師リチャード・ドイリー・カートはギルバート&サリヴァンの作品を上演するためにサヴォイ劇場を建設した。これはまるで、ヴァーグナーとバイロイト祝祭劇場との関係を思わせる。《アイオランテ》はサヴォイ劇場で初演された最初の作品となる(実際は前作《乳しぼり女ペイシェンス》が再演途中でロンドン・オペラ・コミック座から落成したばかりのサヴォイ劇場に移り、初演としては《アイオランテ》が最初である)。戯曲作家ギルバートとサリヴァンの共作は《陪審裁判》という短編で始まり、これが大ヒットしたところにカートは目を付けた。その後《軍艦ピナフォア》と《ペンザンスの海賊たち》が続けて大評判となり、アメリカでの人気もロンドンに劣らぬほど高まった。サリヴァンとの仕事を始めるまでに、ギルバートはいくつかの妖精物語を書いていた。題材は神話などに基づいていたが、サリヴァンという願ってもない作曲家と出会って、ギルバートの創作力は燃え上がり、《アイオランテ》として結実したのだろう。
 BBCプロムスで観た《アイオランテ》は演奏会形式だったが客席を笑いの渦に巻き込んだ。演奏が始まる前から場内は沸いていた。というのは、平土間の最前列を占めていたのは、大英帝国上院議員のマントに身を包んだ十名ほどの老紳士と、妖精の格好をした老婦人たちだった。これでプロムスの雰囲気は一気に盛り上がった。客席の数か所にも同じような衣装の者がおり、愉快な応答を繰り返し、その都度大きな笑いと拍手が起きた。そんなところに女流指揮者のジェーン・グローヴァ―が登場し、少々お堅い表現で音楽を運ぶが、舞台の楽しさで全体は中和される。歌手たちはロイヤル・オペラなどで歌っている中堅で、芸達者が揃っており十分に楽しめた。

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