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エセー 《観たい・言いたい・聴きたい》



第5回 2025年7月8日

『言いたい!』 レコードを聴くということ


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 レコード黎明期からの歴史は分りやすい。大まかな区分だが、ほぼ一九〇〇年に録音技術が生まれ、SPレコードに発展して普及するのが四十数年。続く第二期はLP時代で、モノラル録音からステレオ録音に移行してさらに四十年ほど続く。一九八〇年に前後してCDが誕生しレコードの衰退が始まり、再び四十年を越えた。ここにきて、隆盛を誇ったCDも大きな陰りを見せ、音楽配信という新たな手段で楽しむようになった。すなわち四十年刻みで音楽を聴く媒体は大きな変化をしてきた。だが、この百二十年という再生音の歴史の中で「ハイファイ録音」つまり自然音への忠実度は、物理的特性を放棄しなかったアナログ録音によるLPに軍配が上がる。登場時にはLPはもはや過去のものと、鬼の首を取ったように褒め称えられたCDだったが、最近の世評はアナログ優位を認めている。利便性崇拝という魔性によって駆逐されたかに見えたレコード、流れに竿を差してそれを守り続けてきた気概は多くの愛好家に支持され、私のレコードに拘った営業は今日に至っている。
 初期録音の時代から名立たるレコード制作技師たちが語り継がれており、専門学校で身に付けたにせよ、先達から教わったにせよ、抜きんでた才能が生まれたものの、彼らの多くはディジタル録音に背を向けて去って行った。アナログは耳で録音し、ディジタルは目で録音するという人がいる。モニターから聴こえてくる音楽を研ぎ澄まされた耳でとらえ、調整するのはアナログの世界だが、ディジタル録音は針の触れや波長などを目で追い、バランスは機械に頼ることが多くなる。心ある技師たちは、この変化に耐えきれなかった。
 音楽文化は、その提供と享受を図式にすれば完全なピラミッド型である。裾野には愛好初心者やプロの卵が広がり、経験や理解そして才能の度合いによって頂点に向かい埋め尽くされる。頂点を占めるのは歴史や伝説となり得る数少ない作曲家や演奏家だ。レコード時代の録音は頂点を極めた音楽で埋められ、CDの時代に入るや、頂点に至らないアーティストや作品にも容易に録音の機会が与えられるようになった。
 二つの世界大戦に挟まれ、あるいはそれに前後して残されたレコード時代の作品や演奏、それらは瓦礫の中に不屈の精神で立ち上がり、時同じくして現れたレコード録音への使命感に燃え、演奏の極みを残してくれた。これは世に言われる『巨匠の時代』であり、八十年代に入るや、その黄金期が閉じられた思いがする。少数の巨匠で歴史は作れない。指揮者も歌手もそして器楽奏者も、偉大なる個性が林立し切磋琢磨して、前半世紀の不遇を取り戻すかのように羽ばたいたレコードの八十年間であった。

 さて、レコードの聴き方は極めて「日本的」だと思う。愛好家は針を下ろす前の「儀式」がたまらないと言う。乾球式アンプを暖める場合はさらに長い儀式が必要となる。相撲の「仕切り直し」を例にとれば分かりやすい。勝負は数秒で決まることもあるのに、その前の緊張感(溜め)で遥かに興味が増す。「ハイ次・・・・・・ハイ次」と取り組みだけで終わったら、十番もしないうちに飽きてしまいそうだ。事を成すに吟味を重ねる。また、好物を目の前にして、十分に食欲を高めてから賞味する。欧米人は何事にも合理的で、ずっと手っ取り早い。
 演奏にも「溜め」がある。「溜め」は「心の準備」と言い換えても良い。指揮者の場合は分りやすく、曲の頂点に向かって登り詰めた時や、緊張を孕んだ楽節を前にして力を溜める。指先に、指揮棒に、そして表情にエネルギーを溜め、感極まった瞬間に指揮棒を振り下ろしたり跳ね上げたりする。そう考えると「溜め」の心はレコードだから味わえる喜びであり、密度の高い音楽鑑賞を得るための儀式とも言える。「心の準備」は演奏会でも当てはまる。あたふたと会場に駆けつけて汗を拭う暇もなく音楽が始まったら、折角の音楽を味わい損ねる。余裕をもって座席に掛け、呼吸を整えて待つのは演奏者に対しても礼儀である。こうした日本人ならではの楽しみ方がレコード鑑賞にも音楽会にもあるのだ。
 取り立ててアナログなどと呼ばれなかったところに、ディジタルという言葉の対を成すものとして、アナログという言葉が俄かに聞かれるようになった。この二つをメンタルな意味でとらえてみると興味深い。レコード業界にディジタルの文字が登場した頃、妙に角張ったデザインが使われた。それは、時計の文字盤に表示されていた数字と同じだった。時計の世界ではずっと以前からディジタル化が進んでいたのだ。
 駅舎の大時計や広場の時計塔は長針と短針を持ったアナログ時計が好まれている。読み取りの正確さはディジタルに譲るが早さは優る。瞬時にして「いま何時」が読み取れる。物忘れの早い私など、一分前にちらりと見た時計がディジタルなら、記憶を取り戻せないこともあるが、アナログなら長い間、二つの針の位置をイメージしている。しかも、針の位置は量としての時間をも伝えてくれ、時の経過さえ実感を伴っている。一秒ごとのカチカチと聴こえる音があれば、まるで機械を越えた生き物のような存在感さえある。
 カメラを愛する友人が言った。「馬鹿チョンと呼ばれた時代に始まって、今のディジタル・カメラでの撮影で、人間の判断は無用になった。内蔵された機能が高画質を保証してくれる。だが、そうした最先端のカメラを駆使しているプロは少ない」と。肌を撫でる風と湿度、微妙な光の加減、ファインダーを覗いて探る解像度、シャッター・チャンスなど長年の感と経験が結実するには、操作領域の豊富なアナログ・カメラに限るのだそうだ。

 昔ながらの古書店も少なくなった。かつては、志厚き人が店の奥に坐っていた。ハングリーな学生生活が当たり前だった時代、新書版や文庫本の類が好まれ本屋の棚を占領していった。欧米ではペーパー・バックが市民権を得た。人間の便利さや安易さに付け込んだ商売が次々と成功し、これに慣れれば後戻りはしにくくなる。蔵書というに足る装丁の本は寝転んで読むには重すぎ、電車の中では持つにも骨が折れる。だが、名著は本自らが構えて読むことを欲していると私は思う。ダンテやドストエフスキー、そして鴎外に限らず、気軽に読めるものではない。これらは未知に踏み込み無知を正し、時には人生を変える力を持った永遠の文化遺産である。
 容易に学んだことは容易に忘れるという意味の諺は古くから世界中にあり、読書家であることが友人の第一条件であると看破した歌もある。そこには先人の遺産をしっかりと受け止め昇華するに相応しい姿勢が見られる。手ごたえのある読書は同時に満足感を生み何事も疎かに扱えぬという気持ちを養うものだ。それはレコードの世界と似ている。蔵書というに足る書物を読む行為に、レコードを聴くことと同じ意識を感じる。
 レコード盤には表情がある。刻み(溝)の密度で音楽を想像し、ラベルのデザインに胸躍らせ、盤の重みに歴史を感じる。ジャケットはさらに重要で、手にとって見るに適度な大きさはCDでは味わえない。レコード盤に戻れば、埃がつけば払う努力、静電気が目立てば除去する手間、保管にも気配りが必要だ。「便利とは不便なもので、私は参加できないでいる自分に淋しい思いをし、時々、もっと自分を必要としてくれる聴き方が懐かしくなる」。これは、リモコン一つで操作できるCDが登場した時に手回し蓄音機を相手に感じたことだが、LPレコードを聴く場合も大きな違いは無い。

 物質面でも精神面でも現代社会に確かな繋がりを感じるのは、世界史的に見てエッフェル塔が造られた十九世紀の終わり頃からではないだろうか。これ以降、高度に文化の華が咲き誇った事例を二つ上げることができる。一つは、世紀末から第一次世界大戦までのパリ。多くの文化領域においてパリは世界の中心となった。中でも絵画においては印象派やフォビスムが起こり、さらにピカソに代表されるキュビスムが登場したことで文化は頂点に達する。これは、それまでの具象の文化を塗り替え抽象芸術という新たな世界の始まりだった。音楽でもストラヴィンスキーの《春の祭典》の初演により革命的な機運に満ちていた。
 もう一つは、第二次世界大戦後のアメリカ。巨大な物質文明を背景に、戦場となったヨーロッパを離れて移り住んだ人々により、途方もない量の伝統を咀嚼した上に花開いた文化。それを代表するのが映画とレコードであると言ったら笑われるだろうか。怒涛のように押し寄せたLPレコードはそれまでの音楽生活を一変させた。以後、国民生活への影響力と普及度を考えれば、大きな評価を与えることに不都合はないだろう。その意味で、コンピューターの普及は第三の波と言って良いのかも知れない。だが、第一の波への評価が衰えを知らぬ今、レコード文化によるアナログ文化もまた疲弊させてならないと訴えたい私である。
 数年前からレコードの認識が高まり、ささやかながらも、オーディオ機器が先行してレコード復活への取り組みが繰り返し報じられている。四十年前、CD普及への切り替えのため、音質評価まで不当に貶められたレコードは、専門家の間でも忠実度の高い再生媒体として再認識されるようになった。まだ大きなカーヴを描いてはいないが、どうやらこの傾向は続くようだ。幸いレコードには大きな利点がある。アナログ録音は配信不可であること。ここまで多くの事例を挙げて述べてきたレコードの良さに多くの愛好家が気付き、もう一度、手数は掛かるが大きな喜びで応えてくれる聴き方を受け入れてくれる人が増えることは、対話が消えつつある社会を健全化する手立てにもなるのではないだろうか。

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