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エセー 《観たい・言いたい・聴きたい》



第37回 2026年2月17日

グルック《トーリードのイフィジェニー》


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 同郷の文豪土井晩翠の名訳『イーリアス』は大きな感動を持って一気に読んだ覚えがある。それまでの僅かな知識を手繰りながら、好きなオペラと共通する部分が多いので、時折音楽にも頭を巡らしながら何倍にも楽しんだ。この物語に登場こそしないが、イフィジェニーは丁度それに前後する出来事を扱っているので、多くの場面で話が結びつく。イフィジェニーに絞り込んで、上演の話を交えながらこの作品について述べよう。
 トロイ戦争は難攻不落のトロイという国とギリシャ都市国家連合の争いである。イフィジェニーの父でギリシャ連合の総大将でもあるアガメムノンは弓術の腕自慢が祟り、狩りの神ディアーヌの憎しみを買う。そのためギリシャ軍団はディアーヌの妨害に遭い、トロイに向けて出港できずにいた。ディアーヌはアガメムノンの失言を取り消す条件として娘を生贄に差し出すことを要求し、アガメムノンは苦悩の挙句、娘に向けて剣を握る。刺そうとした瞬間ディアーヌはイフィジェニーを鹿と入れ替えて他国に運ぶ。勿論アガメムノンはじめ人間たちの目には(実際は鹿である)イフィジェニーの亡骸しか見えない。ここまでは同じグルックがオペラ《オーリードのイフィジェニー》として六年前に作曲した。
 トロイ戦争の後日談となるが、夫が娘の命を奪ったと信じ、怒り狂った妻クリテムネストラは、情夫エギストと共謀して夫アガメムノンを殺害する。それを知った気丈夫なもう一人の娘エレクトラは母と王位を継いだ情夫への復讐を誓い機会を窺う。同じ宮殿に住み、憎しみで風貌まで変わったエレクトラは国を離れていた弟オレストをひたすら待つ。やがて現れたオレストは姉の気持ちを察し、母と義父を殺し父アガメムノンの敵を討つ。ここまでは、リヒャルト・シュトラウスの人気オペラ《エレクトラ》の話である。その後、エレクトラは故郷に留まるが、オレストは復讐の女神に追われることになる。

 鹿が身替わりになったことで一命を取り留めたイフィジェニーが女神ディアーヌに連れてこられたのは、蛮族の王が治めるトーリードであった。ここからが、本論のグルック作曲《トーリードのイフィジェニー》である。イフィジェニーはディアーヌ神殿の巫女として仕えている。父が母に追われている夢から覚めたイフィジェニーの興奮はしばらく覚めない。そこに、この国の王トアスが、不法侵入者として捕獲した二人のギリシャの若者を引き立ててくる。彼は、「この二人を生贄として女神に供えねばわが身が危ない」という予言者の言葉を伝え、巫女イフィジェニーに段取りを命じて去る。二人が己の故郷ギリシャの者と知ったイフィジェニーの心は乱れる。
 若者の一人は復讐の女神によって追われていた弟オレストであり、もう一人はその親友であると共に、姉エレクトラの夫でもあるピラードだった。二人による友情を交わすシーンは見せ場の一つであり、詩人ハイネも理想の友情として挙げる。しばらくして現れたイフィジェニーは死ぬのは一人で良いと酌量を見せ、もう一人はギリシャに手紙を届けるよう頼む。今度は二人の若者が互いを思いやる気持ちから生を譲り合うという、極めて崇高なシーンが展開される。やがて、一人が弟オレストであることを知った姉はこの蛮人の国から皆で逃れることを画策する。最後には、兄弟愛や友情にほだされた女神ディアーヌが脱出を助ける。
 イフィジェニーは赤ん坊としての覚えしかない弟オレストに異常なほどの愛情を示す。そして、オレストとピラードの友情は太宰治の『走れメロス』と同じように厚い。わずかながらドン・カルロとポーザ侯爵の友情も重なって見える。こうした情愛を織り込んだところにこのギリシャ劇の存在意義がある。古典オペラとしてここまで劇的な展開を持ったものは少なく、グルックがオペラ改革者と呼ばれていることに納得できる作品である。

 続いて、私の観劇記録から拾ってみよう。二〇〇六年にシカゴのリリック座で観た公演は、ロバート・カーセン得意の抽象的な演出であった。シカゴとロンドン・コヴェントガーデン歌劇場との共同製作であり、翌年サンフランシスコでの上演も私は観た。コロスを含め登場人物の衣装は黒で統一され、カーセンはギリシャの古典劇を底辺に置いていた。この作品のテーマである肉親同士の殺し合いという極めて異常な世界を執拗に追い詰めていくのだが、私には互いに愛し合う者たちが、人間の力ではどうしようもない不幸を上塗りしていく惨めさを、より浮かび上がらせて欲しかった。
 二〇〇七年にベルリン・コーミッシェ・オーパーで観た公演はドイツ語版。私はたまたま、前日《トゥーランドット》を観ており、この作品との共通性に気が付いた。すなわち、異邦人は裁かれる運命にあったということを。また、イフィジェニーは異邦人を処刑する立場にある己を呪い続けており、復讐の鬼と化した姉エレクトラと比べれば姉妹ながら対極にある。言わばエレクトラは「殺す女」であり、イフィジェニーは「救う女」であると私は思うのだが、この上演では冷酷さまで感じさせるイフィジェニーであった。
 フランス語版での幕切れでは、トアス王がピラードに殺され、ドイツ語版ではオレストに殺される。これはそれぞれのお国柄を示している。王が庶民に処刑されるというくだりは、遠からず革命を迎えようとするフランスにふさわしく、アルゴスの王ともいえるオレストが下手人となるのはドイツ人にとっては許容できるところだろう。ただし、エウリーピデースの原作ではトアス王は女神に説得され、姉弟を見逃す。

 かつて、「ブフォン論争」と言うオペラ論議がパリで沸き起こった。イタリアからやって来たブフォン座なるものが、リュリの《アシスとガラテア》の幕間にペルゴレージの《奥様女中》を挟んだことで、それまで燻っていたイタリア物への反感が一気に燃え上がった。オペラ関係者のみならず、王室をも市民をも加えて二つに分ける勢いだった。フランス正歌劇とイタリア喜歌劇の優越を論じた争いだが、結局はイタリア・オペラに刺激を与えられたフランス・オペラは自国の喜歌劇にも目を向けるようになる。音楽はそれぞれの領域があってこそ幅広く楽しめるものであるが、いまでも、どこのオーケストラが世界一だとか、この曲を弾かせたら敵うものは居ないとか、拘る者は後を絶たない。だが、一面では、そうした比較が作曲家や演奏家の精進に繋がるのも事実だ。
 「ブフォン論争」から一世代を経て、グルックとイタリアの作曲家ピッチンニをそれぞれに祭り上げた現実的な論争が起こった。グルックはドイツ人でありながらドイツ語によるオペラの作曲は全く無く、傑作の多くはパリで生まれた。「オペラ改革者」として名高いグルックは、ドラマ効果を高めるための努力を重ねた。同じ頃、イタリア・オペラの伝統を継ぐピッチンニもパリで活躍し、何につけても、この二人は比較されていた。
 ヨーロッパ中で腕比べが盛んな時代だった。モーツァルトがクレメンティとピアノの弾き比べをした話は有名であり、ベートーヴェンもまた数多い逸話が残っている。彼の場合は演奏技術よりも、与えられたテーマによる変奏技術が並外れて高かった。結局、パリの取り巻き連中はピッチンニとグルックに同じテーマを与えた。つまり、同じタイトルの作品を作曲させたのだ。こうして選ばれたのが《トーリードのイフィジェニー》である。

 二人の人気作曲家は《トーリードのイフィジェニー》の作曲をほとんど同じ頃に始め、ピッチンニの作品は一七七九年一月初演の予定で進んでいた。ピッチンニは名だたる速筆家で、グルックは後れを取った。ところが横やりが入り、ピッチンニの初演は先送りされることになった。パリ・オペラ座の経営陣が初演を二年先に延期したのである。温厚な性格のピッチンニは引き下がり、五月になってグルックの《トーリードのイフィジェニー》がオペラ座で先行初演され喝采を浴びる。これによってグルックは圧しも圧されもせぬオペラ界の第一人者と目されるようになった。
 だが、あらぬことかグルックは、次作の稽古中に卒中で倒れるという悲劇に見舞われたり、再起したものの新作の初演は酷評を受け、失意のグルックは己を温かく迎えてくれるヴィーンに帰った。さて、オペラ座との約束通り二年後、ピッチンニの《トーリードのイフィジェニー》はパリで初演されるが評判は芳しくなく、愛好家の気持ちも複雑だった。私はパリの聴衆の間にはグルックに対する仕打ちへの後悔と未練が残っており、グルック待望への気持ちがピッチンニへの冷たい反応となって表れたのではないかと推し量っている。何故なら、そうした思いが薄れ四年後に再演されたピッチンニの《トーリードのイフィジェニー》は、パリで大好評を博したのである。
 余談になるが、二十二歳のモーツァルトはグルック派とピッチンニ派の争いの渦中パリを訪れていたが、どちらの側にも距離を置いていた。グルックはヴィーン宮廷作曲家という地位にもあったのでヴィーンに戻ったのであり、一方のモーツァルトも母がパリで客死していたのでヴィーンに戻り、先輩グルックと交友を結び、《トーリードのイフィジェニー》のヴィーン初演の稽古に立ち会ったりした。六年後グルックが亡くなり、モーツァルトはヴィーン宮廷作曲家を引き継ぐが、これは、父レオポルトと共により高い地位を求め続けたモーツァルトが到達した最高の地位となった。だが、モーツァルトが終生目指していたのは、翌年サリエリが任命されることになるヴィーン宮廷楽長であった。

イフィジェニー
  《イフィジェニー》 フォイエルバッハ(1862)ヘッセン州立美術館

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