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エセー 《観たい・言いたい・聴きたい》



第36回 2026年2月10日

ローレライの音楽


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 「なじかは知らねど・・・」で始まり、近藤朔風の名訳で知られる耳に快い歌は、大を航行する船を歌で惑わせて沈めてしまうという、恐ろしい背景を持っている。ライン川は結構蛇行している。ドイツの川として知られるが、スイス・アルプスを分水嶺として、ポー川と分かれていることを知った時は嬉しかった。ラインはドイツ西部を潤し、ベートーヴェンの生地ボンを抜けて流れ、ポーは北イタリア・ロンバルディア平原で数多い歴史に残る町々を通る。そこにはヴェルディの生家があり、ドイツ魂とイタリア魂の権化のような二人の作曲家が分水嶺で結びついていることに感動した。
 ライン川の観光スポットは船のデッキから移り変わる景色や古い城、斜面に広がる葡萄畑などを目で楽しみ、スピーカーから流れるジルヒャーの音楽に浸りながらローレライの奇岩を眺めるのが勧められる。だが、季節を選ぶなり、夏でも薄い上着を用意するのが良い。川風は思いの外冷たい。実際直角以上に急角度で曲がるローレライの岩山のコーナーは川の難所である。昔は今のような大型船は通れなかったが、川幅を広げ、川底を深くする工事を繰り返して、観光ルートになったようだ。
 船も良かったが、私はここを訪れる時は列車の窓からの景色を楽しむことにしている。慣れない人は見逃がすこともあるが、このルートで数少ない短いトンネルを私は目安にしている。上りでも下りでもトンネルを抜けると大きく開け、間もなくローレライなのだ。その地点を挟んで二つのトンネルがあるということだ。フランクフルトとケルン間の鉄道は、所要一時間の特急があるが、地下や防音壁のある線路を走るので川が見えない。時間が二倍かかるローカル線を利用して私は車窓の景色を楽しんでいる。
 日本にも似たような場所は多いが、岡山と津山を結ぶ津山線。岡山を発ってしばらくすると右側に旭川が流れ、十分以上は続くだろうか、車窓からはすぐ傍に近寄ったり、蛇行して見えなくなったと思ったら、また戻ってくる川との出合いが楽しめる。ライン川のスケール感こそないが、紅葉の時節などはこちらの方が美しい。そういえば、近頃のライン川は上流の浚渫作業のため濁っていることが多いので、旭川はより美しく感じられる。この二つの川はどちらも南北に流れている。もっとも旭川は北から南に流れて瀬戸の海に出るが、ライン川は南から北に流れ、ケルンを過ぎるや西に折れ、一路オランダ・ロッテルダムの港を目指す。

 オペラ《ローレライ》はほとんど知られていない。作曲したカタラーニはプッチーニに四年先んじて同じ町ルッカに生まれたが、惜しいことに三十九歳という若さで夭折した。私の大好きな指揮者トスカニーニは三歳年上のカタラーニと深い付き合いをしており、娘の名に彼の代表作《ラ・ヴァリー》の主人公の名を借用してヴァリーと名付けた。私はオペラ《ロ―レライ》をステージで観たことがなく、二組のレコードを聴いているだけで、対訳も英文に頼らなければならない。しかし、中々捨てがたい作品であり、プッチーニの初期オペラのように、せめて誰かが日本語の対訳を出して欲しいものだ。オペラは対訳の有無によって普及度は格段に違う。
 「ローレライ」とは「鳴き叫ぶ岩」を意味するという。ライン川に突き出た大きな岩は、そのごつごつした肌により、音楽ホールの壁面に故意に凹凸を造るのと同じ理屈で見事に反響する。ヴァーグナーの《ニーベルングの指環》の一場面で、角笛を肩に下げた主人公ジークフリートがライン川沿いに下る場面がある。この岩山はそうした角笛や、狩猟の射撃音、さらに呼び交わす声に、さぞかし痛快なこだまを返したことだろう。これがローレライ伝説の始まりであって、ギリシャ神話のセイレーンのように、岩場近くを通る船を見れば歌に酔わせて沈没させたのである。ここで濃霧に出合った時は背筋が凍りつくように思われた。対岸は全く望めず、船を制御するなど決してできない。
 この岩場から生まれたメルヒェンは多くの作家や詩人に霊感を与え、彼らは物語を膨らます。これが瞬く間に広がったのはハイネのバラードによってであり、十数年後にジルヒャーが哀愁に満ちた旋律を付し、世界中で愛唱されるようになった。その後セイレーン的要素は拡大し、ロマンティスト好みの「愛と死」の物語となる。すなわち、ローレライと若者が恋し合った挙句、男はライン川に身を投げて死ぬという悲劇に発展する。

 カタラーニのオペラでの物語は男を惑わすというより、共に恋に落ちる人間的な魔女の話である。アリアも合唱も豊富で、全体はどことなくロルツィングなどのドイツ・ロマン派オペラに似ている。活躍していた頃のカタラーニはヴァグネリアン(ヴァーグナー信奉者)とみられていたようだが、このオペラはむしろそれ以前のドイツ音楽に近い。だが、勿論イタリア語で歌われ、美しいカンタービレが目立つので、あくまで、そうした影響を感じさせるだけである。《ローレライ》の他の主要登場人物は貴族で、それを家来や女、さらに民衆が取り巻く。
 ストーリー・ラインはありきたりのものだ。その夜結婚式を控えている貴族ワルターはローレライに恋をしているが、彼女の誘惑を振り切って祝宴の席に駆け付ける。腹の収まらぬローレライはライン川精霊の王との結婚の約束と引き替えに霊力を得、ワルターへの復讐を誓う。祝宴の場で幸せ絶頂の新郎新婦の前にローレライが現れ、その魔力に敗れたワルターは新婦との結婚を反故にする。幸せの絶頂時に新郎を奪われた伯爵令嬢アンナは絶望のうちに死ぬ。大きな衝撃を受けたワルターは後悔の念に苛まされるが、恋心が戻ったローレライを前に男の心も再び燃え上がる。それもままならず、精霊の王との約束が蘇り心を鬼にして拒んだローレライに成す術もなく、ワルターはライン川に身を投げる。しばらくして、物寂しい雰囲気で岩場に現れたローレライがハイネの詩にあるように、岩の上で長い髪をくしけずるのであった。
 このオペラは多くの要素や種々の音楽の影響で埋め尽くされている。男声合唱の豊富さはドイツ的であるし、恋人アンナを失った後のワルターの歌唱はヴェリズモ的で迫力がある。祝宴の場のワルツは八小節の大楽節を持ちヴィンナー・ワルツを思わせ、さらにスペイン的雰囲気をも垣間見る。また、女性の魔力から逃れられないワルターの姿はタンホイザーと同じだ。さらに耳をすませば第一幕では《蝶々夫人》に似た音楽まで聞こえる。
 オペラ好きの私はどうしてもプッチーニとカタラーニを並べて考えたくなる。同じ土俵で比べて見れば、プッチーニの初期オペラ《ヴィッリ》と《エドガー》、そしてカタラーニの《ローレライ》と《ラ・ヴァリー》は、この四曲すべてが、わずか八年の間に作曲されている。大きく違っているのは、プッチーニの場合は初期の作品であり、カタラーニの場合は晩年の作品である。それでいて、作曲したときの二人の年齢は近い。
 すぐに気が付くことは、この四曲ともに舞台がイタリアでないことだ。上の順で言えば、ドイツ、オランダ、ドイツそしてスイスということになる。それらが背景となって、いずれの作品も作風は古くなりつつあったロマン派オペラの延長上にある。しかもそれぞれの重要な場面となるのが、これも順に、深い森の中、町はずれの砦、ライン河畔そしてアルプス山中であり、主要人物はそこで命を落とす。プッチーニはマスカーニを快く思っていなかったそうだが、己に似た者は認めたくないという心理だったのかも知れない。

 ローレライに想を得た音楽作品は数多い。私の知るところ、オペラはカタラーニのものが断然有名で、面白いのはメンデルスゾーンに未完のものが残っていること。彼の作風を考えると、ロマンティック・オペラの歴史に残る傑作が生まれたかもしれない。若くして亡くなったことが新ためて悔やまれる。メンデルスゾ―ンと同じ台本に取り組んで完成作を作ったのは、ヴァイオリン協奏曲で有名なマックス・ブルッフだ。
カタラーニのオペラは生地ルッカで演奏されたものがCD化されている。また、一九六八年珍しくミラノ・スカラ座でも演奏された。上演初日だけスリオティス、タラリコ、チェケーレそしてカプッチッリという錚々たるメンバーが揃ったが、他の五公演はこの名歌手の誰かがダブル・キャストと入れ替わる。二月十三日、初日の演奏は恐らく放送され、それがプライヴェ―ト録音としてレコードで出回った。適役だと期待したスリオティスは不調だが、力の入った演奏だった。私は舞台写真を見たことがあるが、スケールを感じさせる豪華なものだった。他にも数人のマイナーな作曲家がオペラを残している。
 ハイネの詩によるジルヒャーの人気曲は山のように録音されている。名歌手たちの独唱や合唱、そして名曲アルバム的なものでは、オーケストラによる耳当たりの良いアレンジ物。それらの中で私が好きなのはドイツの合唱団によるアカペラ(無伴奏)のものだ。わが国では歌う女優第一号松井須磨子の録音が残っているが、今の耳にはいささか抵抗がある。その他、同じハイネの詩に付したリストの幻想的かつ劇的バラードやシューマン夫妻の作品。クララ・シューマンはピアノ伴奏において繊細な感覚で泡立つ波を表現している。面白いのはショスタコーヴィチの交響曲第十四番《死者の歌》で、第三楽章がローレライを素材にしており、アポリネールの詩が使われ、音楽は弔いのような雰囲気を持っている。

ローレライ
  カタラーニ《ローレライ》のレコード 恐らくスカラ座ライヴ

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