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エセー 《観たい・言いたい・聴きたい》



第35回 2026年2月3日

赤ひげ 二題


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 私は三十代に山本周五郎の作品全集を読破した。二年間ほど要しただろうか。それから五十年を過ぎた今では、強く心に残った場面だけが浮かんでくる。やはり髷物が面白かった。この作家特有の、下町の人情話が底流にあるから印象深い。今の若い世代の時代劇離れが指摘されて久しいが、周五郎と藤沢周平の人気は衰えない。藤沢は私の町仙台と縁の深い山形の作家なので多くの場面をよく理解できる。それでも、人間観察においては周五郎の方が優れていると思う。
 さて、正式には『赤ひげ診療譚』だが、便宜上『赤ひげ』で呼ぼう。周五郎ほど舞台化そして映像化された作品の多い作家は見当たらない。『赤ひげ』だけでも幾つあるだろう。だが、その中で人口に膾炙しているのは、三船敏郎主演による黒澤明監督の名画だ。この作品は俳優三船にとっても代表作と言われている。映像の方は、私も指を折っただけでは足りないくらい何度も観ている。ローレンス・オリヴィエのハムレットと同じように、三船はすっかり『赤ひげ』の代名詞のようになってしまったので、新たにこの役に挑戦するのは大変だと思うが、その後放映された映像などでは、新たな赤ひげ像を作り上げている役者が結構多い。これは、三船に習いながらも三船を捨て、己の目指す赤ひげを作ろうと励んだ成果に違いない。

 私が映像を繰り返し観たのには理由がある。サンフランシスコの友人が大の黒沢ファンであり、それが昂じて英語吹替で立派な化粧箱入りの黒沢作品DVD全集を持っていたからだ。私は旅行の都度彼の家に十日間前後宿泊したので、毎晩一緒に黒沢を見る習慣ができた。音声は日本語で聞こえるが、英語の字幕が流れる。笑ったり唸ったりするときは我々二人の呼吸が少しずれる。字幕とセリフをぴったり合わせるのは難しいのだろう。大好きな作品でも、これが何日も続けば飽きもするし、仕事疲れも関係なく付き合わされた時は途中から眠り込むこともあった。いや、大抵は友人の方が先に眠っていた。
 六十歳を越えた頃から私は少しずつ耳が遠くなった。何処の音楽ホールに入っても僅かな音響の不都合にも鋭く反応し、私の音楽生活を支えていた耳だったが、年には勝てない。自分では音楽を聴き過ぎて、それも些細な狂いも聞き逃すまいと集中し、負担をかけ過ぎたのかも知れないと己に言い聞かせている。テレビを楽しむのは決まって夜。そのため友人はボリュームを極力下げる。彼は英語字幕に頼るから一向に構わないのだ。そのため私はカーペットの床に直接坐り、テレビのすぐ前に陣取る。いつの間にか小さく聞こえてくるセリフを聴きながら、眼は字幕を追っている自分に気付いた。これは英語の勉強にもなると認めるや、音にかじりつく一方眼も忙しくなった。だが、この字幕は半分読み進まぬうちに消えてしまう。全部読み終えるまで続くことはまず無い。そのためか、少しは速読に慣れた利点はある。

 時代劇に接するとき、私は生活用品や服装などに考証の目を凝らすことが多い。それが行き届いていれば、鑑賞する上で手ごたえがまるで違う。一つの例をとれば、盗人を取り囲む役人たちが「御用だ!御用だ!」と提灯を向ける場面。そこには決まって「御用」の文字が書かれている。提灯は探索が目的であるはずなのに、太く大きな文字が書かれていたら照明効果が半減するだろうと思うのだ。この間違いは古くから指摘されている。時代考証の本はやたら多い。関係者はもっともっと学んでほしい。聴くところによれば、監督を凹ますほど物知りの役者さんもいるそうだから心強い。
 考証は文章にも目を向けられるべきだと思う。ここで、『赤ひげ診療譚』の1ページ目を開いてみよう。わずか十一行だが、少なくとも江戸時代には使われていなかったような語句が多い。順に挙げれば、「彼」「同時に」「青年」「服装」。これらは明治時代以降に使い始めた言葉であり、物語の時代性を希薄にする。ちなみに、それらを「男」「それと共に」「若者」「みなり」と置き換えれば違和感はなくなる。作者を問わず時代小説には不用意が極めて多い、きつく言えば言葉の誤使用である。速筆で多くの作品を生んでいただいたことには感謝するが、名作と呼ばれるものに、ここまでの吟味を要求するのは行き過ぎだろうか。

 イタリアで「赤ひげ」と言えば、バルバロッサ。神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ一世のことを指す。こともあろうに、バルバロッサは皇帝の名の下、己に同調しないローマ教皇と競い、対立教皇を擁立してイタリア平定を何度も試みた。それ以来、十八年続いた教会分裂の終わりごろ、北イタリアの諸都市は輝かしい歴史のある故郷をバルバロッサの毒牙から死守すべく、神聖ローマ帝国に対抗して共同戦線を張り、ロンバルディア同盟を組織。煽られたバルバロッサは五度目のイタリア遠征で、一気に権力回復を狙った。
 この時、強力なバルバロッサ軍を迎え打ち、北イタリア各地が連帯して神聖ローマ帝国軍を撃破した歴史的勝利が《レニャーノの戦い》というヴェルディのオペラとして残っている。なお、ミラノの北東にある古戦場レニャーノは、列車で三十分足らずで行ける。この後、バルバロッサは矛先を変え、十字軍を率いて東に向かうが、痛ましいことに旅先で迂闊にも溺れ死ぬ。これが伝説を生み、彼の霊はハルツ山中に眠っていて、ドイツが窮地に陥った時は救世主となって現れると言い伝えられ、ナポレオン戦争時には多くの兵士の心を支えたと言われる。
 北イタリア諸都市の間にはそれぞれに利権争いもあっただろうが、そこは大同小異、思いを一つにしてさらに大きな圧力に立ち向かったのである。すでに、ヴェローナ同盟という形が出来上がっていたが、ロンバルディアのみならずトスカーナの諸都市も加わって、大勢力を築いた。オペラはそれらの都市代表の意思確認の場面もじっくりと捉えている。さらに、筋書上避けて通れない抒情場面として愛の三角関係も加えているが、ここではそれに触れない。いずれにせよ、兵士の一群を率いたバルバロッサが敵地に乗り込み、居並ぶ敵軍の中で大音声を上げるというあり得ない場面もあるが、いかにもヴェルディらしい男性的雰囲気に溢れている。

 この作品が生まれた背景にはさらに凄まじいものがある。当時のイタリアはオーストリアの支配下にあった。一八四八年二月にパリで革命が起き、ヴェルディの胸の中で正義への情熱の炎が燃え上がった。ヴェルディの名が初めて世に知られたのは第三作《ナブッコ》で示された民族的主張によるものだった。《レニャーノの戦い》は同じ熱い思いから生まれた。ヴェルディは革命の混乱を物ともせず、この作品こそが正義を示すものだと信じていたに違いない。
 パリの革命はヨーロッパ中に波及した。ドレスデンではヴァーグナーが追放され、ヴィーンでも暴動が起き、宰相メッテルニヒは失脚し、ヴィーン体制は崩壊。オーストリアの混乱に乗じてミラノ市民も立ち上がり、オーストリア軍総司令官のラデツキーは軍に退却を命じた。こうした混乱の中でもたじろぐことなくパリにいたヴェルディは《レニャーノの戦い》の作曲に取り掛かり、二カ月余りでローマ初演に漕ぎつけた。革命運動の最中、ヴェルディの新作オペラへの期待はローマという偉大なる都市の中で高まり、自分たちと良く似た状況にある物語をステージに観た聴衆は熱狂的な反応を示したが、革命が収束に向かうや、このオペラへの興味は水が引くように衰えた。とはいえ、民族自立への希望に満たされた音楽は確実に国家統一運動への効果をもたらし、ヴェルディの名は愛国心の象徴になっていく。

 台本はドニゼッティの《ルチア》を書いていたサルヴァトーレ・カンマラーノ。奇しくも彼がヴェルディと《レニャーノの戦い》の打ち合わせを始めた頃、ドニゼッティは帰らぬ人となった。イタリアに平和が訪れたとき、《ナブッコ》《エルナーニ》と続いたヴェルディの革命意識は《レニャーノの戦い》で頂点を極めるや、その作品は政治的な体質から離れ、同じ台本作家カンマラーノによるによる内面を充実させた作品《ルイザ・ミラー》に向かうのである。それは、世の流れに順応したことを示す。ここにヴェルディの長い歩みの中での一区切りが感じられる。
 《レニャーノの戦い》が後世にいかに大きな影響を及ぼしたかを知るには、現在のイタリア国歌の中の「アルプスよりシチリアまで、どこにでもレニャーノはある」という意気高い歌詞を上げれば十分だろう。この戦いでの勝利は語り継がれているのだ。長年にわたって他国の支配を受けたイタリア人の思いを我々日本人はどこまで理解し得るだろう。ヴェルディはここで愛国的な作品に終止符を打つ。《リゴレット》《イル・トロヴァトーレ》《椿姫》など、続々と傑作を生みだすのは二年後である。それは、ベートーヴェンが《第五交響曲》《田園交響曲》を生み出した時期に似て壮観であり、二人は年齢も近い。ちなみに、四十歳にならんとするこの頃のヴェルディは、山本周五郎の『赤ひげ』のように、立派な「黒ひげ」を蓄えていた。

ダン
  筆者の親友 故ダン・オーパーマン氏(サンフランシスコ在住)

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