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海外レコード買い付け よもやま話



◆ イギリス その2

 第51回 2026年1月29日

 本格的に新たな取引先を探す行動に移った。初めてロンドンに足を踏み入れた時の心細さは無かった。海外での歩き方のコツも覚えた。それは、被害に遭う外国人は、一目見て旅行者であると分かることだ。カメラをぶら下げていたり、しょっちゅう時計に目をやったり、人ごみの中をきょろきょろしながら歩き、立ち止まって地図を広げたり。少なくとも折りたたんだ数個のダンボール箱を手車に積んで足早に歩く私は旅行者には見えなかった。街中で何度旅行者から道を尋ねられたか知れない。日本人ばかりでなくヨーロッパ人からさえ声を掛けられた。いつも速足で目的地に向かっている私は現地人と見分けがつかなくなったらしい。海外買い付けを初めて10年以上過ぎた。西海岸やロンドンそしてパリにはそれぞれ10回以上足を運んでいただろう。もはや地図も不要だった。
 新たなハンティング先として向かったのはウェールズだった。ロンドンから西に列車で4時間。車内はいつも空いていた。途中大きな町はほとんどない。入り江に架かる橋を渡ればウェールズに入る。目的地はカーディフ。駅に着くや見慣れない看板に気付いた。道路標示などあらゆるものに、英語と並んで見慣れぬ語句が書かれている。人に尋ねて分かったが、ウェールズ語を並べて表示していたのだ。わが国では経験できないことだ。住民の誇りを感じた。駅を出るや、大きな屋根の付いたマーケットが目に入った。ロンドンを始め他の町では見掛けぬ大きさだ。物珍しさで足を踏み入れた。勿論土産物屋も多かったが、野菜が多く、港が近いせいか魚類も多かった。嬉しいことに奥の方にレコードを山と積んだ店を見つけた。ジャンル別の仕分けもしておらず無造作に箱に詰めたものを並べたり重ねたり。クラシックを探すのに苦労をしたが、ここは言わば“穴場”であった。

 第52回 2026年2月5日

 ウェールズには大きな炭鉱が多かった。それがイギリスの産業革命を支えたらしいが、燃料が石油に代わるや町は一気に衰退した。それでも、先に書いた方言への愛着と同時に、イングランドへの同胞意識は極めて高い。一つには古くからあるイギリス王室における皇太子を『キング・オブ・ウェールズ』を呼び続けていること。習慣として王位継承者として生まれる者は、ウェールズ出身となり、この呼称で皇太子となるのだ。この辺の経緯は映画「わが谷は緑なりき」に詳しい。また、カーディフの町ではどこでも「ドラゴン」の彫刻や旗を見かけた。これはウェールズの象徴であり守り神である。私の頭の中では火を噴くドラゴンと炎を上げるボタ山(石炭の山)が重なって仕方がなかった。炭鉱で栄えた町は多くの貧民を残した。ウェールズに入った途端感じた貧しさには理由があったのだ。
 カーディフ・マーケットは二年ほど通った。いつ行っても期待に応えてくれる新着レコードが豊富だったし、とにかく安かった。夫婦でやっていた店で息子らしき若者もいた。だが、顔なじみになった頃、突然として店は無くなっていた。小さな店も何件かあったし、列車で30分のところにニューポートという町があり、そこにも2~3件の店があった。だが、ウェールズでのハンティングの魅力は大きく後退した。何とかウェールズでの買い付け先を探そうとしていた私の耳に願ってもいない話が飛び込んできた。カーディフから北に列車で4時間のところにビショップズ・キャッスルと言う小さな町がある。コレクターは時間をかけてドライヴして向かうそうだ。地図とにらめっこして探したら、本当に小さな町でウェールズとの境にあるイングランドの町だった。列車を乗り換え、さらにバスかタクシーで一時間要するようだ。こんな時一層やる気が出てしまう性分の私は決心した。

 第53回 2026年2月12日

 ビショップズ・キャッスルのレコード店について、アラン・サンダース氏に相談した。彼はルビニ・レコードのサイド・グレイ氏と並んで、何でも相談できる友だった。アランは首を傾げた。「私は何度か行ったことがある。確かに素晴らしい店だが、とにかく遠いし不便なところだ。君は運転できないんだからね、無理だと思うよ」と。私はホテルの部屋で地図を広げた。パソコンなどなかった時代である。その頃、トスカニーニのビデオ全集が発売になり、私の店は全国第2位の販売数を挙げたことで、ソニーから表彰され、当時まだ出始めだった書院のワープロをご褒美に戴いた。勿論、今のパソコンの機能には遠いが、それが最先端だった。つまり、グーグル地図の検索などなかった時代に、私は列車とバスまたはタクシーを乗り継いでビショップズ・キャッスルに出掛けたのである。
 朝の五時にホテルを出て、ロンドンから列車で中部イングランドのバーミンガムに向かう。そこで乗り換えて北東リヴァプール方面への中間点シュルーズベリーで降りる。さて、駅前からバスが出ていた。1時間に一本のビショップズ・キャッスル行き。そうしているところに停まっている1台のタクシーが目に入り。迷うことなく乗った。運転手はけげんな顔をして言った。「200ポンドは越えますぜ、旦那さん」と。4万円か、仕方ないだろうと、私は頷いて乗り込んだ。なだらかな起伏が多い、時々すれ違うために道幅が広くなっているような田舎道が続く。両側に柵が張り巡らされ、その中には至る所に羊の群れ。牛や馬もたまに見かける。スコットランドを除くイギリスには高い山がほとんどない。だから、見晴らしは素晴しい。鼻歌でも歌いたくなる気分でいたところに、「着きましたぜ!」の声。目の前にレコード店ヤーブルーハウスがあった。

 第54回 2026年2月19日

 ヤーブルー・ハウスは間口が10メートルほどある中程度の店だった。入ってすぐのところは小さなカフェになっており。ニ、三人が話していた。ダンボール箱を抱えた私を見て、その中の一人が歩み寄ってきて言った。「レコードですね」と。私が頷くや、彼女は奥に入って行って私と同年齢で顎髭を生やした男を連れてきた。実に人の好さそうな男は「どちらからですか」とどこに行っても聴かれる言葉。日本人であると知るとどこでも愛想がよくなる。彼は入口の左側の部屋に私を案内した。組み物を収めた小さな棚が奥に一つあり、あとはエサ箱の一枚物が中心だった。それらは、海外の店では珍しくジャンル別に整理されており、デッカ、EMIなどの人気盤はコーナーを設けていた。私はどこへ行ってもざっと見て所要時間を見積もる。これは夕方までかかりそうだと踏んだ。
 客は誰もいなかった。夕方までニ、三人来ただろうか。レイアウトから想像はしていたが、嬉しかったのは品質が極めて良かったことだ。傷んだものは処分しているに違いない。一時間おきぐらいにオーナーがやってきて私が選んだものを眺めて行った。ほとんど口は挟まない。優しい目で軽く会釈して戻っていく。彼の名はジョック。ジャックではない。私が夕方まではかかるだろうと言ったせいか、途中二度ほど声がかかり、喫茶室でスコーン(ビルスケット)をかじりながら旨い紅茶を飲んだ。可愛がっているらしい大きい猫が寄ってきては、私の足にスリスリしていく。私は猫好きなので喉を撫でてやると、ゴロゴロと喜んでいた。はっと思って選んだレコードを気を付けてチェックしたが、猫の毛は付いていない。レコードの店には猫を入れていないようだ。アクセスは不便なところだが、私はここが大いに気に入って、その後は重要な買い付け先となった。

 第55回 2026年2月26日

 2月11日は49回目の創業記念日。つまり、あと一年すれば半世紀という訳です。30歳で始めましたが、疲れはそれほど感じません。やる気も失っていません。ただ、海外に足を運ぶのが体力的に相当厳しくなっています。8時間以上飛行機に乗るのは拷問です。しかも、ウクライナ戦争によって南回りでヨーロッパに向かうには時間も資金もずっと掛かります。加えて今は途方もない円安のダブル・パンチ。でも、毎週お知らせする新着レコードや企画ものリストをご覧になれば、新たなレコードは決して切れていないことがお分かりになるでしょう。レコードの蓄えは十分にあります。海外の友人や取引先からは、三日と置かず耳寄りな情報が入ってきますが、皆、私と同じように年を重ねて、先のことに不安を感じているのです。一方、どこでも若いディーラー(業者)は育っています。
 ヤーブルー・ハウスの店主ジョックはさすがに情報通でした。私の知っているディーラーの名が続々と出てきました。彼の話から、ロンドンやブライトンを中心に回っていた私には、中部イングランドがとても魅力に見えてきました。バーミンガムやマンチェスター。そしてノッティンガムやダービー。これらは、どこかの町に宿泊を続ければ、列車の便が良く、効率よくハンティング出来ることも分かりました。イギリスは正にレコード・コレクターの宝庫です。昔からオークションの国とは言われているので当たり前のことなのですが、十年も通って私は実感できました。この頃従業員の数も年々増え、店頭はいつも賑わっていました。ニ、三カ月の間に二週間海外に出掛けるのは決して良いことでは無かったのですが、海外買い付けに慣れてきた従業員も育っていたので少しは負担が少なくなりました。何よりもお客様の要望も多くなり、「今度はどちらにお出掛けですか」の声が多くなりました。

 第56回 2026年3月5日

 ヤーブルーハウスのジョックからの情報は次々と役立ちました。最初にバーミンガムのマックニコル氏を訪ねました。オーディオの技術者である彼はサブ・ジョブ程度にレコードを扱っていました。足の踏み場の無いような部屋の中はオーディオ機器とレコードで埋まっていました。彼はスマートな体型の紳士であり、言葉も丁寧でした。レコードに価格は付いておらず、私の希望価格に対して諾否を決めましたが、私の提案するリーズナブルな価格に、ほとんど首を縦に振りました。こんな時は慎重に提示価格を決めて、相手をも喜ばせるように私は心がけていました。彼の持っているものは殆どがプレミアム品であり、持ち帰ってデッド・ストックにならないようなもの、つまり、売れ筋を中心に吟味して選びました。選び方ひとつで、あるいは品揃えひとつでキャリアが判断されるのです。
 ロンドンから北へ一時間のワトフォードに、レア盤を中心に揃えているコレクターがいることも分かりました。私と同年代のA氏は、多くの人からその名を耳にしていましたが、価格が高そうで敬遠していました。例えば、マルツィやオークレールのレコードがどこで手に入ったかという情報は、仲間の間ではすぐに話題になります。そのような激レア・レコードの話でA氏の名が頻繁に出ていたのです。しかも彼は新聞に「求む/デ・ヴィート/200ポンド(4万円)」などの広告を出しており、顰蹙を買っていました。いつまでも黙っていることも無いだろうと考えた私は出掛けました。ドアを開けた途端、「仙台レコード・ライブラリーの山田さんですね」と言いながら日本人青年が走ってきました。イギリスが気に入って住みつき、そこでレコードの販売を手伝っていたのです。S君は経済的に不自由ではないようで、私と意気投合し、長い付き合いが始まりました。

 第57回 2026年3月12日

 レコード買い付けの際の大切なことは二つだけ。品質と価格です。相手がいくら安くしてくれても品質に問題があるものを買ってはいけません。私はSPレコードに親しんでいるので個人的には傷があっても平気ですが、商売となればそうはいきません。検盤は最も大切な事です。もう一つの大切なことは価格です。私は常に日本に帰ってからの販売価格を頭に置き、その3~4割程度を上限とします。日本国内でメーカーからレコードやCDを仕入れた場合はいわゆる“七掛け”つまり、定価の7割が仕入れ価格となります。でも、海外買い付けの場合は、旅費交通費や海外からの商品移動経費、関税など余分なものが沢山加わります。それで買い付け基準を低くしているのです。加えて、暗い店頭や室内で選んだ場合は傷の見逃しなどのリスクも加わります。
 海外に出掛けてレコード店に入った経験をお持ちの方は、掘り出し物とその価格に大喜びすることもあるでしょうが、煩雑な店の様子や品揃えの悪さに驚くことも多いはずです。私は海外旅行を予定なさっているお客様に何度も良い店を紹介しましたし、私からの紹介であることも伝えました。でも、大きな満足を得て帰った方は多くありません。数枚の好いレコードを見つけたが、多くは私の店でも手に入るものでした。少なくとも、私の紹介があっても、その店の倉庫に立ち入ることはできませんし出店前の、新着を見せてもらうこともできません。そして、店以上に数の多いディーラーやコレクターを紹介することは困難です。買い付けの旅も十数年を過ぎ、私はイギリス、アメリカ、フランスで十分なレコードを集めることが出来るようになりましたが、努力の甲斐があって商売は順調でした。でも、そうなったらなったで、より多くのレコードが必要になりました。


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