ヤーブルーハウスのジョックからの情報は次々と役立ちました。最初にバーミンガムのマックニコル氏を訪ねました。オーディオの技術者である彼はサブ・ジョブ程度にレコードを扱っていました。足の踏み場の無いような部屋の中はオーディオ機器とレコードで埋まっていました。彼はスマートな体型の紳士であり、言葉も丁寧でした。レコードに価格は付いておらず、私の希望価格に対して諾否を決めましたが、私の提案するリーズナブルな価格に、ほとんど首を縦に振りました。こんな時は慎重に提示価格を決めて、相手をも喜ばせるように私は心がけていました。彼の持っているものは殆どがプレミアム品であり、持ち帰ってデッド・ストックにならないようなもの、つまり、売れ筋を中心に吟味して選びました。選び方ひとつで、あるいは品揃えひとつでキャリアが判断されるのです。  ロンドンから北へ一時間のワトフォードに、レア盤を中心に揃えているコレクターがいることも分かりました。私と同年代のA氏は、多くの人からその名を耳にしていましたが、価格が高そうで敬遠していました。例えば、マルツィやオークレールのレコードがどこで手に入ったかという情報は、仲間の間ではすぐに話題になります。そのような激レア・レコードの話でA氏の名が頻繁に出ていたのです。しかも彼は新聞に「求む/デ・ヴィート/200ポンド(4万円)」などの広告を出しており、顰蹙を買っていました。いつまでも黙っていることも無いだろうと考えた私は出掛けました。ドアを開けた途端、「仙台レコード・ライブラリーの山田さんですね」と言いながら日本人青年が走ってきました。イギリスが気に入って住みつき、そこでレコードの販売を手伝っていたのです。S君は経済的に不自由ではないようで、私と意気投合し、長い付き合いが始まりました。