買い付け先はかなり増えた。ブリュッセルなど新たな魅力ある店が増え、イギリスではロンドン、ブライトンそしてリヴァプール、フランスではパリ市内とデュマゼール氏の別荘。アメリカではロサンゼルスに何度も出掛けるようになっていた。一年に4・5回は海外に出掛けるようになった。毎回10日前後の出張で買い付け量は5000枚を超えるようになっており、店番のためにレコードの詳しい社員を雇うようになった。同時に、他店では入手の難しいレコードが増えてきたために、通信販売はますます忙しくなってきた。バブルがはじける以前のことで、弊社のような末端の小売業も景気が良かった。そうした中で、全国に専門店は多かったが、アメリカ盤を取り扱う店が少なく、ロサンゼルスだけの買い付けでは顧客の要望に応えることが出来なくなってきた。  ロサンゼルスへ行っていながらサンフランシスコへ出かけないのも勿体ない。遅まきながらそう考えて出かけることにした。シアトルも含めてアメリカの西海岸には日系人が多い。ということは日本食レストランが多いということである。ハンティングもさることながら、どこへ行っても中華と日本食抜きでは満足行く仕事もできない。ロサンゼルスもサンフランシスコも大きなジャパン・タウンがあって、私は行くたびに満たされた。サンフランシスコは、本土から半島のように突き出た土地で、北に有名なゴールデン・ゲート、半島の中央に東西を貫くマーケット・ストリートという市電の通りがあり、北側はカー・チェイスなどの映画やケーブルカーで有名な山の手で坂道が多く、南側は平坦で碁盤の目になっている。ちなみに、南側は治安が悪いと聞いていたので、私は北側の中心部に近いところに宿を取るようになった。