ルビニ・レコードでのハンティング(レコード漁り)は一日がかりとなりました。すぐに昼食の時間が来て彼が私を連れて出向いたのは、海岸近くにあるイタリアン・レストラン「オテロ」でした。イタリアン・ビール「ペローニ」で乾杯をした後、パスタを注文しました。大皿に盛られたそれを食べながら尽きない話が交わされました。音楽のこと、取り分けオペラについては、すぐに互いが認め合うほど話題は豊富にあり、話は止みません。これがなければ私はレコード選びにもっとたくさんの時間を費やすことが出来たでしょう。恐らく60歳前後だった彼は、ロンドンで歌ったSP時代の多くの名歌手たちを聴いていました。今思えば、ここで身につけた多くの生きた知識が私を育てたのだと思います。  「オテロ談義」は出張のたび続けられるようになりました。不思議なことに彼の倉庫には毎回山のような新着レコードが用意されていました。時には前もってホテルの予約が必要なこともありました。こうした日々が重なって、年齢の違いはあるとはいえ、私にとって彼は、外国人として親友と呼べるほどの仲になりました。私はシンガポールでの教員時代、インド人の仲良しがいました。サムソディンという名の男は、国から選ばれたバレーボールのコーチで、彼との出会いは、東京オリンピック男子バレーボール・チームがシンガポールに一週間ほど滞在した時に、大使館からの依頼で私が通訳を勤めた時でした。外国人とは積極的に仲良くするのが私の性分です。それは、海外でレコード探しをするという仕事の上で大いに役立ちました。そう言えばその頃シンガポールで仲良しになったレコード店「ベートーヴェン・ハウス」の店主コーン氏が仙台の我が家に泊まっていきました。彼は初めて見る雪の中を、寒さも忘れてはしゃぎまわっていました。