ローラ・ボベスコは一部の音楽愛好家によってしか知られていない時代でしたが、来日の報が伝わるや、眠りから覚めたようにブームが広がりました。仙台でも公演が決まった理由はよく覚えていませんが、口コミで広がりました。ボベスコはグリュミオーなどと同じフランコ・ベルギー派に属するヴァイオリニストで、その本山であるリエージュ音楽院で教鞭を取っていました。リエージュのレコード店が関わっていたのは当然のことだったのですね。私はロンドンでの買い付けの合間にリエージュに足を延ばしました。ドイツの西端アーヘンから20キロにあるこの町はセザール・フランクやウジェーヌ・イザイを生んでいることでも、私の関心は高まっていました。  デュシェスンというレコード店は直ぐに見つかりました。世界に向けてレコードを制作しているとは思われぬ小さな店で、奥の方に年配の店主が座っていました。この頃東京にも多かったレコード専門店のイメージで、私の口からボベスコの名が出るや大喜びされました。私にとってははちょうど良い、たどたどしい英語でボベスコに関わる長話をしました。勿論、私的にも親しくしているようで、演奏家はこの店にも時々来ているのでしょう。しばらくして、裏の方から次々とレコードの束を取り出してきては、一枚一枚の自慢を続けました。結局、ここで私は10種類にも及ぶボベスコのレコードをたくさん買い込み、満足して日本での演奏会の成功に夢を馳せました。ボベスコは全国何か所で演奏会を催したか詳しくは覚えていませんが、私が揃えたレコードの内容は全国一だったでしょう。