COLUMBIAやVICTORの商標権と言う壁は、海外出張の前に大きく立ちはだかりました。開店当時、在庫の半数は東京の輸入元から仕入れた海外盤でした。その輸入元でさえ商標権には泣かされており、剝がすのが難しいシールなどが張られていました。例えば、東京の老舗などでも同様の時代でした。次第に声が高まり、商標の管理者である日本のレコード会社は、使用代金を徴収し、使用許諾シールを張る方向に改善していきました。業歴が短かったにもかかわらず、わが社が許諾資格を容易に得ることが出来たのは、日本コロムビアや日本ビクターとの直接取引があったからです。  さて、2度目の出張は、こともあろうにイタリアに行ったのです。これは単にオペラ好きな私のわがままでしたが、劇場通いを我慢をして仕事に徹しました。ミラノとローマに行って手当たり次第にレコード店を回りましたが、当然のことながらどこの店でもイタリア盤中心。グラモフォン・フィリップス・EMI盤なども数多くありましたが、イタリア・プレス。仕方なく買った幾つかの珍しいタイトルに、帰国後興味を示すお客様は皆無でした。その一方で、当時話題になっていたチェトラ・ライヴのオペラなどは大いに喜ばれました。CDが世に出る直前の事です。レコード店は小さな町にもありました。そんな中で一軒のジャズ専門店と仲良くなりました。オルサ・マジョーレ(大熊座)と言う名でした。店主は恐らくアメリカとの取引があったのでしょう。ジャズの名盤で埋め尽くされていましたが、今から十年も前に廃業したようです。間もなく、先のわが国にもチェトラ・ライヴの輸入元が出来、国内で容易に手に入るようになりました。これは、飛ぶように売れました。